October 2008 Archives

今回は「Querycruise」の講師を勤めてくださる社会学者の南後由和さんにインタビューを行った。近年、建築界での活躍も目覚ましく、「Round about journal」や「10+1」そして最新号のJAにも関わっておられます。
この前半では、以外にも大阪出身ということで見知った場所の話も交えつつ、なぜ社会学を専攻され、その後どのように都市、建築という領域へと歩みを進めていかれたのかを伺った。

Q:大阪ご出身ということですが。

はい、堺市の泉北ニュータウンというところです。堺の旧市街ではなく、郊外のニュータウンで、学部は神戸大学でした。最初は自分の興味のある分野が、哲学、社会学、心理学なのかの区別はあまりついていなかったんですが、専攻を決める3年生の時点では、マスコミュニケーションやマスメディア、都市の群衆や大衆文化など、マスが付くものに関心があるということがわかってきていたので、そのマスを分析対象とする社会学を選択しました。

京都でのレクチャーということで多少詳しく言いますと、泉北ニュータウンからは難波まで直通の電車が走っています。その間で、古墳群、臨海工業地帯、西成の「あいりん」地区などを車窓から目にしながら難波まで行くので、色々考えさせられるわけですね。一方、電車の駅と駅でいえば、郊外と都心のあいだを行ったり来たりしていたわけです。電車から降り立った難波、心斎橋、梅田などの場所に感じる空気感や、地元とは違う高揚感の実体とは一体何なんだろうかと、小さい頃から気にはなっていました。今にして思えば、互いに匿名的な関係にある人びとが寄り集まって生まれるダイナミズムや現象自体を客観的に分析することに興味を持っていたのだと思います。

このように、何となく都市論をやりたいなと思っていた3年生の2000年に、アンリ・ルフェーヴルの『空間の生産』の翻訳が出たのですが、分厚い本で目にとまりやすかったということもあり、たまたま梅田の紀伊國屋で手に取りました。学生には高価な本だったのですが、タイトルや目次に魅かれて、思い切って購入し、何度も読みました。
それまで、いわゆる建築家とかプランナーと呼ばれる人が設計してつくり出す物理的空間だけが基本的には空間だと思っていたのですが、ルフェーヴルは、中立的で透明な容器として空間を捉えることはしませんでした。たとえば、権力、知、規範が空間化されていることや、既存の地図などによって空間の知覚や経験が規定されていることを見抜く一方で、ユーザーのアクティヴィティが空間を改変する可能性などを見出したように、知覚、思考、行為が一体となった社会を空間性として捉え、さまざまな主体が空間を生産する様態を動態的に記述しようとしたのです。それこそアトリエ・ワンの塚本由晴さんが最近言っているような、人間の振る舞いだけでなく生命、経済、エネルギーの振る舞い自体も空間を生産する一つのエージェントとして見なす、ということにもつながっています。大袈裟かもしれませんが、ルフェーヴルの本によって、僕の今までの認識というかモノの考え方が、がらっと変わるような経験を味わいました。ただし、ルフェーヴル自身はオーソドックスな社会学者ではなく、学部時代にも授業で登場することはない存在でした。そこでこの人はどういう学説史的位置にあるのかを調べ始めると、上野俊哉さん、花田達朗さん、毛利嘉孝さん、吉原直樹さん、吉見俊哉さん、若林幹夫さんなどの社会学系の人たちが、メディア論、地理学などと関係づけながらルフェーヴルを受容、紹介していることを知りました。そして卒業論文では、ルフェーヴルの日常生活批判や都市・空間論を読み込み、それがシカゴ学派の都市社会学から、マニュエル・カステルらの新都市社会学への転回においてどう位置づけられるのか、またそれが場所論をめぐって、デヴィッド・ハーヴェイやエドワード・W・ソジャなどのポストモダン地理学やカルチュラル・スタディーズという隣接する都市・空間論のなかにおいて、どのような射程を持ちうるかを探るという学説史的な研究をやりました。

Q:大学院からは東京大学に進学され、学際情報学府に籍を置かれ田中純氏の研究室に入られます。なぜ社会学部ではなかったのでしょうか?

先ほど挙げた先生方の多くは、『10+1』によく登場されていました。僕にとって『10+1』の影響は大きく、多木浩二さんの建築論はもちろん、工学系の人の都市・建築論やリサーチなどもよく読んでいましたが、そのなかでディシプリンの垣根をものともせず、それらを縦横無尽に横断して編み上げる田中純先生の文章が、とても刺激的でした。またその頃、田中先生連載の『都市表象分析Ⅰ』や若林先生の『都市のアレゴリー』も単行本化されていました。僕が大学院に進学したのは、情報学環・学際情報学府が出来て3年目だったんですけど、指導教員として志望した田中先生がおられたこと、それに博士課程で副指導教員をお願いした吉見先生や、同じくルフェーヴルと公共圏に関する本をまとめられた花田先生らがおられたことが僕にとっては魅力的でした。学部の時には、ルフェーヴルの都市・空間論を中心とした学説史的な勉強をしていたのですが、もう少し具体的なレベルで都市空間をフィールドワークするなり、分析したいと思っていました。その具体的なレベルとして、僕の場合は建築に興味を持ちました。

先ほど神戸大学出身と言いましたが、キャンパス周辺には六甲の集合住宅とか、作品集にはあまり出ないような、安藤さんの昔の建築もたくさんあります。ちょうどその頃というのは『Casa Brutus』が出てきた頃で、『建築MAP』の京都、大阪/神戸版も出揃っていたので、趣味として建築を見て回り、メディアを通じて作品としての建築を見るまなざしを受容していました。そのようにして、研究とは別に、文化資本のようなものとして建築を消費していたと言えます。

けれども、ルフェーヴルの議論では、基本的にはル・コルビジエなどの建築家が、均質的な空間を作り上げるテクノクラートやイデオローグとして問題視される、建築家批判が展開されるわけです。つまり、僕の中では、ルフェーヴルなどの研究を通した、建築家をめぐるエリート主義への批判意識というものがある一方で、建築を文化資本として消費して楽しむ自分がいるというように、アンビバレントな関係があったんです。さらには、従来の社会学というのはどうしても無名性や建物の集合に関心があり、作品としての建築ということにはあまり関心を向けていませんでした。

そういうこともあって、対象を建築のレベルにまで降ろそうと思い、工学部系の建築や都市計画の本などを右も左もわからないまま、回り道をしながら読み始めました。そういう意味でも、既存の枠組みにはおさまりきらない「学際」を掲げ、理系の研究者も共存する研究科は居心地がよさそうなところに映ったんですよ。

まず修士課程では、そもそもルフェーヴルが当時(60・70年代)の建築界でどう受容されたかを調べてみたいと思ったんです。でも、ルフェーヴルの議論から建築までは距離があるので、その時に僕が媒介項として置いたのが、シュチアシオニストのなかでも、オランダ人のコンスタントのプロジェクト「ニューバビロン」でした。日本ではすでにギー・ドゥボールの『スペクタクルの社会』やシュチアシオニストの機関誌も全部翻訳が出ていました。だから社会思想史とかボードリヤールとかにつながる消費社会論の文脈では定着していたんですけど、建築の分野では紹介文などが散在的に存在しているだけでした。それでルフェーヴルとも私的に交流があったコンスタントのニューバビロンとルフェーヴルの都市・空間論との関係や、それを経由して60年代のチームXのアルド・ヴァン・アイク、スミッソン夫妻、ヨナ・フリードマンらやその後のアーキグラムなどに与えた影響を探り、シチュアシオニストと同時代の建築界との連続性や差異を考えることを修士論文でやりました。


Q:南後さんは博士課程に在籍中に『10+1』の40号で「建築家の有名性」についてお話しされています。有名性の議論とルフェーヴルの議論はどのようにつながっているのでしょうか。

ルフェーヴルというのは、基本的に先のコルビジエなんかを抑圧的で抽象的な空間を生産する主体として批判していくんです。ルフェーヴルは本質的な計画主体として建築家を批判するけれど、建築家の存立様態や、それこそ建築家の表象は、単純なものでも自律したものではないし、コルビジエが語る思想や概念自体が純粋に空間化されるわけではありません。建築は当たり前ですけど集団的生産物で、事務所内、設計組織の属性のあいだにもいろんなヒエラルキーがあるし、クライアント、コンペ、マスメディアなどの色々な制約条件があるわけです。そういう意味では、社会学で言う建築界の「ハビトゥス」へと肉薄する必要があります。

その点、ルフェーヴル自身は、建築の生きられ方の話になると、物理的な空間の使用の多様性への着目に終始しがちだったように思います。つまり、建築へ向けられるまなざし、建築家の社会的位置、あるいは建築をめぐるさまざまな言説自体の生きられ方というのも合わせて考えていく必要があると感じていました。もちろん、ルフェーヴルの空間論の枠組み自体はそれらを捉える射程を持っているのですが。
しかも、自分自身は有名建築家を入口として建築に触れていったというのがある。ただし、たとえば『建築MAP』とか『Casa Brutus』というメディアは、見るべき作品としての建築をマッピングすることによって、有名と無名、図と地の関係をつくり出していっているわけですよね。図としての建築の周辺というのは、当然ながら地として見えなくなっているわけです。だからその図と地の関係とか、有名と無名の関係自体を、連動したものとして捉えないといけないのではという思いを強くするようになりました。それで、今まではどちらかというとシチュアシオニストやグラフィティ文化など、無名性や匿名性に関するものに研究関心があったのですが、現在執筆中の博士論文では「戦後日本における建築家の有名性の生産・流通・消費に関する研究」をテーマにしています。

ただし、建築家の有名性を、記号論として扱おうとしているわけではありません。建築ジャーナリズムの形式やメディア環境の変化はもちろん、大きくは近代、国民国家、戦後民主主義、消費社会とも有名性は関係しています。他方で、有名性は建築界が歴史的に抱えてきたさまざまなヒエラルキーや構造的問題などとも表裏一体となっています。それにクライアントも信頼や顕示的消費として、建築家の有名性というか署名を欲望しているという側面もあります。

建築史では、建築家と作品がセットで単線的に捉えられ、そこから様式や時代背景が語られがちですが、僕の場合は、そのセットの周りにあるコンペとかマスメディア、クライアントというもののネットワークを重層的に捉えることによって、建築史を斜めに読み替えていこうとしています。たとえば丹下さんのクライアントの属性が50年代、60年代、70年代でどう変わってきたか、またそれが建築のスケール、ビルディングタイプ、地理的分布にどのように影響を及ぼしてきたか、時代ごとに有名性を支える条件がどのように変質してきたか、などです。建築家の有名性の特徴のひとつは、有名性がメディアや、それによって駆動される建築界の中だけで流通するわけではなくて、クライアントなどと接点を持ちながら、都市の中に物理的に空間化され、社会に埋め込まれていくところにあると思います。まさに、建築家の有名性は空間化された表象としてあります。そのような都市とメディアが交わるところに位置づく有名性をめぐるダイナミズムを捉えるには、社会学者のピエール・ブルデューやハワード・S・ベッカーが言う「芸術界/場」の議論を援用して建築界という枠組みの細部を詳察しつつ、それをルフェーヴル的な都市・空間論のアプローチと接続し、拓いていくことが有効だと考えています。そういう意味では、卒業論文での関心が現在まで、ゆるやかにつながっていると思います。

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だいたい半分まできました
本日はQueryCruiseに講師としてお招きしております、京都精華大学デザイン学部准教授佐藤守弘先生の研究室にお邪魔しております。



―まずは先生ご自身のお話から伺っていこうと思います。よろしくおねがいします


よろしくおねがいします。


―佐藤先生のご専門は芸術学ということですが


そうですね、ただデザイン学部という名前でわかると思いますが制作系の学生を教えています。ですが、僕自身としてはモノをつくるわけではなくて、いわゆる芸術、デザイン、あるいはうち〔京都精華大学〕にはマンガ学部というものもありますが、これらのジャンルに共通するひとつの理論あるいは歴史のようなものを教えています。


―先生ご自身の研究テーマについて教えていただけますか


芸術学とは言っていますが、実はあまり芸術の研究はしていません(笑)。むしろ芸術から対象をもっと広げて考えていく視覚文化論―ヴィジュアル・カルチャー・スタディーズといいますが―といったほうが正確かもしれません。そして直接に研究の対象とするのは19世紀から20世紀頭にかけての視覚文化、特に写真というメディアが中心です。ただそれも写真に限らず、絵画であったり、都市の問題であったり、そのあたりは幅広くやっています。


―先生が学生だったころはどのような研究をされていらっしゃいましたか


一番初めは江戸時代の泥絵というあまり知られていない絵画なんですけれど、言ってみれば土産物の絵ですね。地方の下級武士が買い求めて帰った、版画ではない肉筆の都市景観を描いた絵に興味がありました。都市景観、そういうのをトポグラフィといったりしますが、そこから都市とか自然に対する、もう少し広く言うと場所というものとそれ(メディア)との視覚的イメージの関係というのを中心に考えてきました。だから一方では風景論というものも僕にとっては非常に重要です。自然も都市も含めて、そういったところが研究テーマとなっています。

それから近代になって写真というメディアが重要になってきます。そういうわけで、たとえば海外向けに日本の風景や風俗を撮った「横浜写真」と呼ばれるようなものや、1910年代20年代、日本の都市部のアマチュアたちが田舎を撮ったような写真、あるいは1930年代における都市と写真の関係、そういったものに関心が広がっていきます。



―ありがとうございます。では佐藤先生が現在最も興味をもたれていることはなんでしょうか


今少し触れましたが場所とイメージの問題、僕はそれをトポグラフィと呼んでいますが、それが僕の中心的な問題です。そういったところから、今度は都市を風景として表象するだけではなくて、むしろその都市との関わり方ということから、たとえば1920年代から30年代における「考現学」というもの、それが1980年代になると「超芸術トマソン」や「路上観察学会」というところに行き、最近で言うと宝島の「VOW」であるとか―いろいろなウェブサイトでも見ることができると思いますが―いわゆる都市の細部を蒐集するという行為を写真論やコレクション論から考えてみたいなと思っています。


―先生のご研究の価値をご自身ではどのようにとらえられていらっしゃいますか


僕自身は視覚的イメージのことを考えていますけれど、これは実は視覚だけではなくて、たとえば都市デザインの問題であったり、ランドスケープ・アーキテクチャーの問題とも言うことができるだろうと思います。あるいは人文地理学における場所の問題であるとか、そういったところから都市やストリートの政治性、政治学というところまで広がっていくのではないかなと思っています。


―なるほど。現在ではたとえば保存行為ですとか「悪い景観」といったような都市における問題が「保存」「景観」が何であるのかという議論抜きに進んでいるように見受けられますが


そうですね、京都に住んでいる身としては非常にリアルな問題だということができます。といって、今の保存という体制に全て諸手を挙げて賛成できるわけではありません。実際保存ということを考えると、少なくとも明治くらいの国家政策と文化財の問題であるとか、あるいは国民国家の体制と絡んでくる問題です。そしてもうひとつの研究テーマとしてあるのが、京都がどのように表されるのかということです。つまり京都の表象の歴史、あるいは京都の観光化の歴史というものにも興味をもっているのですけれど、そのあたりというのは非常にポリティカルな問題が絡んでくる。すなわち「日本のふるさと」として表象される京都というのが近代にいかに構築されてきたのかということに関心をもっています。最近は奈良のほうまでひろがっていますが。


―範囲が広がってるわけですね


ただ一方では無計画に、というかもはや手遅れという話もありますが、つくられる都市がいいと言ってしまうと問題があるし、そのへん自分自身かなり悩んでいるところです。保存の問題、居住者と保存者の問題というのはすごくリアルなところです。まあこういう話までできるのかちょっとわからないのですが(笑)。


―なるほど。そういえば観光庁(2008年10月設置)なんかもできましたね


いまいちあのあたりはわからないんですけどね。あれは海外に向けてのものでしょう。ですから観光庁の発していく政策っていうのが日本表象の問題としていいネタを提供してくれるような期待はしています。つっこみがいのあるやつを(笑)。

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ここまででだいたい半分です
今回は、名古屋大学大学院法学研究科准教授でいらっしゃいます大屋雄裕先生の研究室にお邪魔してレクチャーのこと、それから大屋先生ご自身についてお伺いしようと思います。



Q:まず先生ご自身の専門である法哲学という分野を分かりやすく説明して頂けますでしょうか。


まず法律学というのは大きく分けると実定法学と基礎法学という二つに分かれます。お医者さんで言うと、実定法学というのは病院で患者さんを診てる人たち、つまり実際に法律があるのでそれをどう保護してくのかとか、どう事件に当てはめていくのかという解釈を考える人たち。それに対して医学部においても基礎医学といって、有名なのは解剖学の養老孟司先生がいますが、医学に関わる事柄を科学的に研究する、必ずしも患者さんを診ない人たちがいます。それと同じように法律学にも基礎法学者といって、日本で有効な法律の話をしているのでは必ずしもなくて、それを取り巻くさまざまな事柄について科学的な探求をするという人たちがいるわけです。典型的には法制史学者というのは、法律や政治に関わるさまざまな事柄の歴史を研究する。だから法学部にいるけど研究手法は歴史学に近い。法哲学者というのもその一分野で、法に関わる事柄を哲学的に探求するということを使命にしています。そもそも法とは何かとか、あるいは法の解釈とか適用を我々はやるわけですが、これは一体哲学的に考えるとどういうことを我々は実際にやっているのだろうかとか。そういうことを考えています。
この面でいうと大きな一つのトピックというのは、法解釈が客観的なのかどうか、法の適用には必ずこうでなければならないという唯一の正解があるのかないのか、といったことですね。そもそも法とは何のためにあって、したがってどういう法律が良いのか。良い法律と悪い法律というのは、プロの中ではそれなりに見解が一致するところではあるのですが、実際そこで我々は何を考えているのか、我々がそこで直感的に考えている基準は何かとか、あるいはそもそも我々の直感は間違っていて、実は良い悪いはこういう風に決まるんだというようなことを哲学的に考えましょうというのが、法哲学の役目です。


Q:大屋先生の研究テーマについて教えていただけますか。


大きく二つあって、一つは先ほど申し上げた法解釈の客観性というテーマです。法解釈ということで我々は実際何をやっていて、それにどの程度の客観性があるかということ。もう一つは情報化社会の到来というのが背景にあって、分かりやすいところではさまざまな法律が次々に変わることを強いられている。典型的には刑法を見ればわかりますが「電子計算機使用詐欺罪」なんてのは電子計算機がない頃には存在しなかったわけです。古典的にはテレホンカードの偽造みたいなものが出てきたときに、それに対応する新しい犯罪類型というものを我々は考えないといけなくなってきた。最近では電子商取引であるとか、あるいは選挙にPCやネットワークの使用をどこまで許すかということが課題になってきている。このようにさまざまな変化を強いられているわけですが、これが大きく言うとどういう変化であってその中で今まで我々が使っていたような法律とか政治のシステムがどのように変わっていくかということを研究しています。


Q:情報化社会の到来に合せて法が変わっていかなければならないのかという問題は、専門家の間でも広く共有されていることなのでしょうか。


情報化社会論というくくりで考えると、つまり問題の方からみると結構多くの方々がやっておられて、例えば現代思想では東浩紀先生、社会学の大澤真幸先生とか北田暁大先生とか、そういう問題を扱ってらっしゃる。一方でそれが社会のレベルの問題ではなくて、それを動かしている具体的なルールとしての法の問題になると、具体的なトピックはみんなやっているわけですよ。例えば刑法学者は、今後新たな犯罪類型をどうやって取り締まるかを考えています。けれども法律というシステム全体に着目してそれがどう変わるかということをやっている人間はそう多くないと思いますね。


Q:研究に関係があるかないかは別としておいて、主要な関心事、あるいは最近の社会的なニュースとかのなかで面白そうだなと思っていることはなんでしょうか。


いろんなことが関係あるんですけど、情報化社会の到来ということの大きなポイントは、「国家」というものですね。それが一つの軸なんですが、その国家の力というのがかつて思われていたほど絶対的なものではなくなってきているということでしょう。これは経済的なグローバライゼーションとの関係も強いわけですが、お金と情報の行き来を国家がコントロールできなくなってきている。かつては、国家権力というのはリヴァイアサンであって、つまり人民すべてをひれ伏させることができる強大な実力の持ち主だったわけです。ところが、最近のところで言うとサブプライム問題に端を発する世界恐慌の危険というものが迫ってきていて、アメリカは大不況を引き起こさないために国内経済を救済するための国費投入ということを決めようとしました。ところがその枠組が、人民の代表であるところの下院で否決されてしまう。要するに国民はこんなものやりたくない、必要ないといって法案が否決されてしまう。国民の意思が国家を動かしたんだからそれで話が終わりかと思ったら、お前何考えてるんだと世界中から批判されてしまう。アメリカが原因を作ってはじまった恐慌で、そこで止まらなければ他の国がどんどん巻き添えになるのに、国民が納得しないからといって手を抜くなと言って周りの国家が批判するわけですよね。そしてアメリカ政府はこの法案をなんとかしてもう一回通そうとしました。ここでは、ある政府の決めたことというのが、その国家の中にすら絶対的な実力を持っていない。ひとつながりの国際社会の中のアクターとしてしかるべき役割を果たさないと、他の国々から批判を浴びて、その批判を受け入れざるを得ないという構造がある。しかもそれは、アメリカという世界最大のパワーを誇る国のやることですらそうだと。かつては国家がある国の領域のなかで絶対的な実力を持つ、その実力の裏付けは国民の合意である。国民が国を支持しているからそういうことになるので、民主的正統性があるからそのように国民を支配してもいいのだと考えられてきたわけですが、そういう力強い国家像が非常に揺らいでいるということは言えると思いますね。


Q:それはやはりさっきおっしゃられたようなグローバル経済、あとは情報の行き来というのが一番のファクターになっているのでしょうか。


そうだと思います。世界がいろんな面で実質的に繋がってしまっている。かつては例えば経済で市場というときには、一般的には国内市場のことを意味していて、その例外として貿易があったわけです。国内が市場であって、そこから出入りするものを貿易として別に勘定しましょうという枠組でやってきたのですが、もはやそんなことは言っていられない。世界のお金のマーケットというのは一つに繋がってしまって、ある市場の動向が他の世界中の市場に次々に波及していってしまう。もちろんそれを成り立たせているのは情報の自由なやりとりです。一番基底的なレベルであるモノや人もどんどん境界線が揺らいで動くようになっていますが、まだ実態としてのモノが動かないといけないところの流動性はそんなに高くない。それは国がコントロールできるからですよね。けれども人は動かせなくなくても、仕事は動かすことができる。つまりアウトソーシングで、たとえばコンピューター関係のカスタマーサービスの対応だけインドに投げる。インド人がインドで仕事してるんだけど、サービスの対象はアメリカですという状態になってきています。


Q:ありがとうございます。ではちょっとお答えづらい質問かと思いますが、大屋先生ご自身の研究の価値というのをどのように捉えられていらっしゃいますか。


まず法哲学とは法学部で一番金にならない学問だと私は言うんですけど、それはなぜかというと、私が見ている変動というのが、大きく言えばこう流れていくだろう、こういうふうに変わっていくだろうというもので、これはどれくらい経ったら出てくるか分からない。例えば私は情報化社会論の関係で、現在のような著作権制度というのは崩壊せざるを得ない、遠からず崩壊するだろうと言っているですが、この「遠からず」というのは世紀単位の話だと思うんですね。例えば100年は続かないだろうという話なんです。私の研究というのはそういう意味で、他の実体的なことを扱う人たちがやっていく研究の枠組、その奥にあるトレンドみたいなものを掴もうとしているので、直接的にそれが普通の人の役に立つかどうかというと、たぶんあまり役に立たないんです。でもまあ、そういう研究の方向みたいなものを探る役に立てばいいと思っています。


Q:その大きい動きを捉えられる際に、どういうものが一番のファクターになるのでしょうか。


簡単に答えるのは難しいのですが、「考え方」ですね。考え方の枠組みか、その背景にある理念、価値、そういったものを視ていると、単に表面的な利害関係の対立ではなくて、そもそも尊重してる価値とか世界の捉え方の違いが背景にあるというように気付くことがあります。具体的には「NIFTY-Serve事件」という、パソコン通信上での名誉毀損を巡る事件があったのですが、もちろん裁判になったわけですから、一番表面のレベルでは損害があったかどうか、その損害をいくらと評価すべきかという対立ですね。もちろん原告は一千万とか、被告はゼロだと主張するというような構造があります。しかし、私はこの事件の一番の重要性は、具体的な金額を巡る争い、つまり金額というものが重要な価値だと両方が認めた上でそれを争っていくというものではなくて、そもそもNIFTY-Serveというのがどういう場所なのか、それが開かれた言論の場なのか、顔見知りによるあるいは仲のいい人たちによるおしゃべりの場なのかということを巡る価値観の対立にあったと読み解こうとしています。特に法律の場合、民事裁判では必ず何らかの損害に対する賠償を求めるという形に構成しないと裁判にならないわけですから、本当は謝ってほしいと思っていても何らかの経済的被害を受けたという体裁にしないと普通は訴訟として成立しません。裁判というものが求める形式性という表面と、その奥にある本当の欲望、隠された考え方というのを注意して読まないといけないだろうと考えています。


Q:先生の研究テーマとして先ほど「解釈の客観性」そして「情報化社会における法」という二つを挙げていただきましたが、この二つの繋がりはどのように考えられているのでしょうか。


一つ目のテーマ「解釈の客観性」というのは、ウィトゲンシュタインの言語哲学を法解釈の問題に応用するというやつでして、そもそも分かる人間、興味を持ってくれる人間が法哲学者の中にさえ何人いるのかということを考えないといけない研究なんですね。実際この分野の主要業績というのは、日本では長いあいだ出ていない。ところが学者も勤め人ですから、ある程度人に分かりやすい研究もやっておかなければいけない。そこで当時関心のあった情報化社会の問題をサブテーマとして始めたというところです。
ただ研究生活に入って10年くらいたっているんですが、その二つが実は繋がってきているんではないかと思ってるんです。それは、解釈の客観性を巡る問題における私の結論というのは「客観性はない」ということなんですね。事前に決められたルールは我々の行動を制約できない。我々は盲目的に行動していて、基本的には何か問題になったときに後付けで正当化を考えているんだけれど、その後付けで正当化するというのが重要なところで、単に暴力で黙らせるのではなくて、こういう理由で僕の方が正しいでしょと言いあうことによって暴力的な衝突を回避する。そういうシステムとして法とか政治とかが作られたと考えるべきなんだという立場です。つまり、世界とか社会の秩序というのが神様に創られていてその通りにやればうまくいくというのではなく、我々が何とか作っていかなければならないものなんだと。トラブルにぶつかったときに、こっちの方がいい、あっちの方が正しいと言って競い合うことによって、なんとかこしらえてきたものに過ぎないという見方なんです。これはつまり、背景の世界が変わったら秩序も変わらないといけない、我々がこう思うというのを変えれば、変わってしまうはずだということを意味している。
この秩序の人工性、そこで人々の欲望のあり方に従って秩序がどんどん変化していくというのが実は一番端的に表れてきているのが、今であればインターネットのあり方だろう。たとえばインターネット上でどういう通信が可能かというのは、我々が参加しているネットのコミュニティーが決めてきたわけです。こういうルールで通信しましょうという秩序に従ってみんなが生きている、人工的な秩序です。その中で誰か勝手なことをやりだすやつがいて、しかしそれがすばらしいとみんなが思ったら、それは新しいサービスとしてインターネット上で定着し、存在を認められてしまう。例えばgoogleだって最初出てきたときは、なんだこんなものという人はたくさんいたわけです。つまり人間の目を通してない、他からリンクされたものは重要であろうという推定にもとづいて並び替える検索サービスが、人が見ているのに比べてよくなるはずがないと。でもgoogleは、こっちの方がいいんじゃないかと思ってやってみて、結局みんなそっちに乗ってしまった。そうするとgoogle的なサービスというのがインターネット上での非常に重要な一部として存在して、それが世界を作っていくようになる。情報化の問題を私が選んだ背景には、そういうものが見えていたのかもしれない。


Q:情報化社会については学部生のころから研究されていたとのことですが、その時のテーマはどのようなものだったのでしょうか。


まだ研究というよりは勉強を始めてたくらいですけれども。大学の法学部というのは勉強をするところですから(高校まではやってない学問ですから)、その法律の勉強をしながら、しかしこういうところに問題があるなと思って始めていたんです。当時扱ったのは、自主的なルール形成といったわりと古いインターネットの時代の話なんですが、我々が普段相手にしている秩序というのは国家が支えているものであって、国家の暴力というものによって支えられ制裁が行われることによって担保されているような秩序です。ところがインターネットには、そういうものがない。インターネット上で何をやったって国家が飛んでこないという状況があって、にもかかわらず古い時代のニュースグループの時代のインターネットにはある程度の秩序があって、秩序違反者への制裁が行われていた。となるとこの秩序を支えているものは何なのか。テクニカルタームで言えば、ある種の「自生的秩序」、おのずからできてくる秩序ということですが、その一形態ではないかと。参加者がみずから維持し、違反者に制裁を各自加えることによって維持されているコミュニティーみたいな、初期のインターネットの姿というのがまだあって、それが国家が支える秩序という外の法律の世界とそろそろ衝突しかけていたころですね。


Q:情報社会における法、自制的な秩序ですとか、例えばレッシグ『CODE』で示されているように「法」、「市場」、「規範」を今までの社会における支配のモードとして捉え、さらにもうひとつのモードとして「アーキテクチャ」をあげていて、そこに先生の話も接続されていくかなと思うのですが、この辺りに関してどうお考えでしょうか。


一つはインターネットのあり方をレッシグの議論は非常に良く捉えていて、古いインターネットというのは規範の世界なんですよね。自主的に形成された規範をみんなが守っているというような世界である。それがアーキテクチャ的な支配に変わっていってしまう。フリーソフトウェア運動のように、みんながインターネットの世界を良くしていくためにそれぞれ少しずつコントリビュートしてその結果よくなっていくという考え方から、マイクロソフトがバーンとWindowsのようなソフトを作ってしまい、それが我々の行動を規制してしまって、しかもしばしばそれは我々にとって快適なのでいいかと思ってしまう。そういう支配に変わってきた。そういう発達史みたいなもの、そのアーキテクチャルな支配が徹底していくことにどう立ち向かうかということを考え始めてしまうわけですが、それを考えていくことが実は古典的な法哲学の枠を外れているという批判がなくはない。社会の制約の形式として見るならば法と共通性もあるけれど、狭い意味の法とは関係ない問題を扱っているわけです。だからどちらかというと権力、規制の正統性という問題に一般化して考えようとしている。でも、法哲学というのはもともと権力行使の正統性に関わる学問なんですよ。なぜ国家が人々を支配するということが許されるのか。その観点から言えば、いま人々を支配する手段が狭い意味での法だけではなくなってきたときに、じゃあもっと広いものも見ましょうというのは法哲学の発展の仕方として当然じゃないかという気はします。

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ここまでで半分です

インタビュー01/五十嵐太郎

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今回は「Querycruise vol,1」でレクチャーを担当していただく建築史家の五十嵐太郎氏に自身の活動の事、また今回のレクチャーについてお話を伺います。

Q:五十嵐さんの活動の概要について教えて下さい。

概要は難しいです。一つのテーマだけを追いかけている人であれば説明しやすいのだろうけれど。「宗教と建築」だけを生涯のテーマにしていて、卒業論文、修士論文、博士論文、そしてその後もずっと研究を続けて、何か関連トピックがあれば意見を求められるというような事ではないので。いろんな事をやってるとしか言いようが無いです。要するに概要と言われたら、建築の評論をやっていたり、建築の展覧会の企画をやっていたり、あるいはメディアに関することや物事を起こす事等、色々あるとしか言いようがない。

Q:4年生の最後に卒業設計をされ、その後は建築設計ではなく建築史の方へ進まれましたが、そのきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

まず卒業設計で原子力発電所を設計しました。原子力発電所は、30年くらい稼働すると使えなくなります。その処理の方法としてコンクリートとアスファルトで固めると言うのがあり、面白そうだったのでそれをやりました。具体的には、高レベル廃棄物処理場を原子力発電所の地下につくり、使えなくなったら、そのままコンクリートとアスファルトで固めると、2000年経っても3000年経っても放射能の影響が残り、どんな開発が起ころうとも、どかすことのできないモニュメントになるというものでした。そうやって卒業設計をやって、自分はデザインに関心はあるけれど、おそらく物語を作る能力の方が人より優れているらしいということに気がついた。すでに建築の歴史の研究室にはいましたが、文章だとかお話を作る方に自分自身で可能性があると思いました。

Q:その後、博士論文では「新宗教と建築」いうテーマを選ばれましたが、どういう経緯でテーマを決められたのでしょうか?

いろんな事を考えて行き着くんですが、新宗教の建築に関しては、単純に誰もやっていないということや、博士課程の早い時期に『10+1』で都市のタイポロジーの特集があって天理市を訪れた事がきっかけです。もちろんオウム真理教の事件も無関係ではありません。また言葉と建築という関係があまり形而上学でもなく、メタ批評でもなく、具体的な事例を通して考えられるのが宗教建築だった。そこで「新宗教と建築」というテーマで博士論文をやりました。これは完成する前から講談社から出版される事が決まり、幸運でした。それは、誰もが気になっているテーマだけれども、ちゃんと誰もまじめにやらなかったわけで、宗教学の分野はもちろん扱いますが、建築や空間論の立場から考えた事がないテーマだったからではないでしょうか。

Qそれ以前にも何冊か本を出されています。先ほど名前が出た『10+1』にも寄稿されていますし、早いところで言うと『エヴァンゲリオン快楽原則』が97年に出版されています。

それはまず先に、大学院の時に『エディフィカーレ』という同人誌を書いていて、それを建築のメディア関係者や建築家等に渡したりしていましたが、その中で注目くれた人が数人いて『GA JAPAN』という雑誌でメンバーによる連載枠をもっていました。そうして何度か書いてるうちにですね、大変短い1000文字くらいの文章ですけど、八束はじめさんが関心を持ってくださって、『10+1』に書かないかと言って下さったのがきっかけです。
エヴァンゲリオンは、もう単純にあのころエヴァンゲリオンのブームがあって、それこそ関連書籍が濫造されていて、たまたま知り合いが出版社の人でエヴァンゲリオンの本を出したいということがあって。そういうのは半分偶然もあるし、あとは面白いと思った事には、基本的に関わるというのが昔からあってですね。その時は単純に面白いと思ってその本の企画にも関わった。ただ他のエヴァ本とその本が違っているのは、当時出ているのはほとんどが謎解き本だったのですが、それは映画が上映されて答えが出たらあってるか、間違ってるかで終わりだけど、批評であればあってるとか間違ってるとかはないので、エヴァの批評をやりました。明確に批評をやったのは僕の関わった本の他にはあまりなく、そこの一線はだいぶ違うと思います。

Q:五十嵐さんの活動の特徴として、非常に多くのしかも多岐にわたっての執筆、メディア活動を行われているという事があると思いますが、何か理由はあるのでしょうか?

いや、単に来てる依頼を引き受けたらこうなっただけなので。自分から原稿書かせてくれなんて営業した事はないですし。面白い事を断らずにやっていったら、いつの間にか増えたとしか言いようが無いんですよね。自分でやりたい事と、他の人が考える僕が出来るであろうことは違っていたとしても、編集者が見ている違う自分に興味がある。自分でやりたい事だけやるとだいたいさっき言った追求型になるんですけど、他の人からこういう事ができるんじゃないかと僕が見えるとしたら、それはきっと可能性があるからだろうと思うし、そういう事に大体付き合っていったら増えていった。でもそういう風に見えるには理由があるんだと思って、付き合っていったということです。


Q、それでは五十嵐さんにとって、建築メディア(著書、雑誌、ラジオ、展覧会)が果たす(社会に対する)役割、また価値とはどのようなものなのでしょうか?)

 専門誌と一般誌で全然役割が違います。専門誌は業界の内部で評価を高めたり、長く継続することでアーカイブ的な意味を獲得します。社会性はなくても可能です。一方、一般紙が建築をとりあげるときは、すでにそれが何らかの社会性があるからです。僕としては、どちらがより上位であるという考えはなく、それぞれは比較しづらい別世界のような気がします。

Q:今回のレクチャーの聞き所について

最初の企画文に、京都に建築関連のイベントが無いと言う事があったので、レクチャーでは自分の活動に関して、物事をどうやって起こすのかという話をするつもりです。本に書いてある事は本を読めば大体わかると思うので、どちらかというと、そうじゃない展覧会とかメディアを起こす事とはどういうことかについて話したいと思います。そういうことは今まで書いた事も無かったので。京都でもぜひ物事を起こして下さいということで、レクチャーのラインナップが出来ています。


Interviewed by RAD/kawakatsu

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