インタビュー04「都市・建築における無名性の価値、有名性の価値」/南後由和
今回は「Querycruise」の講師を勤めてくださる社会学者の南後由和さんにインタビューを行った。近年、建築界での活躍も目覚ましく、「Round about journal」や「10+1」そして最新号のJAにも関わっておられます。
この前半では、以外にも大阪出身ということで見知った場所の話も交えつつ、なぜ社会学を専攻され、その後どのように都市、建築という領域へと歩みを進めていかれたのかを伺った。
Q:大阪ご出身ということですが。
はい、堺市の泉北ニュータウンというところです。堺の旧市街ではなく、郊外のニュータウンで、学部は神戸大学でした。最初は自分の興味のある分野が、哲学、社会学、心理学なのかの区別はあまりついていなかったんですが、専攻を決める3年生の時点では、マスコミュニケーションやマスメディア、都市の群衆や大衆文化など、マスが付くものに関心があるということがわかってきていたので、そのマスを分析対象とする社会学を選択しました。
京都でのレクチャーということで多少詳しく言いますと、泉北ニュータウンからは難波まで直通の電車が走っています。その間で、古墳群、臨海工業地帯、西成の「あいりん」地区などを車窓から目にしながら難波まで行くので、色々考えさせられるわけですね。一方、電車の駅と駅でいえば、郊外と都心のあいだを行ったり来たりしていたわけです。電車から降り立った難波、心斎橋、梅田などの場所に感じる空気感や、地元とは違う高揚感の実体とは一体何なんだろうかと、小さい頃から気にはなっていました。今にして思えば、互いに匿名的な関係にある人びとが寄り集まって生まれるダイナミズムや現象自体を客観的に分析することに興味を持っていたのだと思います。
このように、何となく都市論をやりたいなと思っていた3年生の2000年に、アンリ・ルフェーヴルの『空間の生産』の翻訳が出たのですが、分厚い本で目にとまりやすかったということもあり、たまたま梅田の紀伊國屋で手に取りました。学生には高価な本だったのですが、タイトルや目次に魅かれて、思い切って購入し、何度も読みました。
それまで、いわゆる建築家とかプランナーと呼ばれる人が設計してつくり出す物理的空間だけが基本的には空間だと思っていたのですが、ルフェーヴルは、中立的で透明な容器として空間を捉えることはしませんでした。たとえば、権力、知、規範が空間化されていることや、既存の地図などによって空間の知覚や経験が規定されていることを見抜く一方で、ユーザーのアクティヴィティが空間を改変する可能性などを見出したように、知覚、思考、行為が一体となった社会を空間性として捉え、さまざまな主体が空間を生産する様態を動態的に記述しようとしたのです。それこそアトリエ・ワンの塚本由晴さんが最近言っているような、人間の振る舞いだけでなく生命、経済、エネルギーの振る舞い自体も空間を生産する一つのエージェントとして見なす、ということにもつながっています。大袈裟かもしれませんが、ルフェーヴルの本によって、僕の今までの認識というかモノの考え方が、がらっと変わるような経験を味わいました。ただし、ルフェーヴル自身はオーソドックスな社会学者ではなく、学部時代にも授業で登場することはない存在でした。そこでこの人はどういう学説史的位置にあるのかを調べ始めると、上野俊哉さん、花田達朗さん、毛利嘉孝さん、吉原直樹さん、吉見俊哉さん、若林幹夫さんなどの社会学系の人たちが、メディア論、地理学などと関係づけながらルフェーヴルを受容、紹介していることを知りました。そして卒業論文では、ルフェーヴルの日常生活批判や都市・空間論を読み込み、それがシカゴ学派の都市社会学から、マニュエル・カステルらの新都市社会学への転回においてどう位置づけられるのか、またそれが場所論をめぐって、デヴィッド・ハーヴェイやエドワード・W・ソジャなどのポストモダン地理学やカルチュラル・スタディーズという隣接する都市・空間論のなかにおいて、どのような射程を持ちうるかを探るという学説史的な研究をやりました。
Q:大学院からは東京大学に進学され、学際情報学府に籍を置かれ田中純氏の研究室に入られます。なぜ社会学部ではなかったのでしょうか?
先ほど挙げた先生方の多くは、『10+1』によく登場されていました。僕にとって『10+1』の影響は大きく、多木浩二さんの建築論はもちろん、工学系の人の都市・建築論やリサーチなどもよく読んでいましたが、そのなかでディシプリンの垣根をものともせず、それらを縦横無尽に横断して編み上げる田中純先生の文章が、とても刺激的でした。またその頃、田中先生連載の『都市表象分析Ⅰ』や若林先生の『都市のアレゴリー』も単行本化されていました。僕が大学院に進学したのは、情報学環・学際情報学府が出来て3年目だったんですけど、指導教員として志望した田中先生がおられたこと、それに博士課程で副指導教員をお願いした吉見先生や、同じくルフェーヴルと公共圏に関する本をまとめられた花田先生らがおられたことが僕にとっては魅力的でした。学部の時には、ルフェーヴルの都市・空間論を中心とした学説史的な勉強をしていたのですが、もう少し具体的なレベルで都市空間をフィールドワークするなり、分析したいと思っていました。その具体的なレベルとして、僕の場合は建築に興味を持ちました。
先ほど神戸大学出身と言いましたが、キャンパス周辺には六甲の集合住宅とか、作品集にはあまり出ないような、安藤さんの昔の建築もたくさんあります。ちょうどその頃というのは『Casa Brutus』が出てきた頃で、『建築MAP』の京都、大阪/神戸版も出揃っていたので、趣味として建築を見て回り、メディアを通じて作品としての建築を見るまなざしを受容していました。そのようにして、研究とは別に、文化資本のようなものとして建築を消費していたと言えます。
けれども、ルフェーヴルの議論では、基本的にはル・コルビジエなどの建築家が、均質的な空間を作り上げるテクノクラートやイデオローグとして問題視される、建築家批判が展開されるわけです。つまり、僕の中では、ルフェーヴルなどの研究を通した、建築家をめぐるエリート主義への批判意識というものがある一方で、建築を文化資本として消費して楽しむ自分がいるというように、アンビバレントな関係があったんです。さらには、従来の社会学というのはどうしても無名性や建物の集合に関心があり、作品としての建築ということにはあまり関心を向けていませんでした。
そういうこともあって、対象を建築のレベルにまで降ろそうと思い、工学部系の建築や都市計画の本などを右も左もわからないまま、回り道をしながら読み始めました。そういう意味でも、既存の枠組みにはおさまりきらない「学際」を掲げ、理系の研究者も共存する研究科は居心地がよさそうなところに映ったんですよ。
まず修士課程では、そもそもルフェーヴルが当時(60・70年代)の建築界でどう受容されたかを調べてみたいと思ったんです。でも、ルフェーヴルの議論から建築までは距離があるので、その時に僕が媒介項として置いたのが、シュチアシオニストのなかでも、オランダ人のコンスタントのプロジェクト「ニューバビロン」でした。日本ではすでにギー・ドゥボールの『スペクタクルの社会』やシュチアシオニストの機関誌も全部翻訳が出ていました。だから社会思想史とかボードリヤールとかにつながる消費社会論の文脈では定着していたんですけど、建築の分野では紹介文などが散在的に存在しているだけでした。それでルフェーヴルとも私的に交流があったコンスタントのニューバビロンとルフェーヴルの都市・空間論との関係や、それを経由して60年代のチームXのアルド・ヴァン・アイク、スミッソン夫妻、ヨナ・フリードマンらやその後のアーキグラムなどに与えた影響を探り、シチュアシオニストと同時代の建築界との連続性や差異を考えることを修士論文でやりました。
Q:南後さんは博士課程に在籍中に『10+1』の40号で「建築家の有名性」についてお話しされています。有名性の議論とルフェーヴルの議論はどのようにつながっているのでしょうか。
ルフェーヴルというのは、基本的に先のコルビジエなんかを抑圧的で抽象的な空間を生産する主体として批判していくんです。ルフェーヴルは本質的な計画主体として建築家を批判するけれど、建築家の存立様態や、それこそ建築家の表象は、単純なものでも自律したものではないし、コルビジエが語る思想や概念自体が純粋に空間化されるわけではありません。建築は当たり前ですけど集団的生産物で、事務所内、設計組織の属性のあいだにもいろんなヒエラルキーがあるし、クライアント、コンペ、マスメディアなどの色々な制約条件があるわけです。そういう意味では、社会学で言う建築界の「ハビトゥス」へと肉薄する必要があります。
その点、ルフェーヴル自身は、建築の生きられ方の話になると、物理的な空間の使用の多様性への着目に終始しがちだったように思います。つまり、建築へ向けられるまなざし、建築家の社会的位置、あるいは建築をめぐるさまざまな言説自体の生きられ方というのも合わせて考えていく必要があると感じていました。もちろん、ルフェーヴルの空間論の枠組み自体はそれらを捉える射程を持っているのですが。
しかも、自分自身は有名建築家を入口として建築に触れていったというのがある。ただし、たとえば『建築MAP』とか『Casa Brutus』というメディアは、見るべき作品としての建築をマッピングすることによって、有名と無名、図と地の関係をつくり出していっているわけですよね。図としての建築の周辺というのは、当然ながら地として見えなくなっているわけです。だからその図と地の関係とか、有名と無名の関係自体を、連動したものとして捉えないといけないのではという思いを強くするようになりました。それで、今まではどちらかというとシチュアシオニストやグラフィティ文化など、無名性や匿名性に関するものに研究関心があったのですが、現在執筆中の博士論文では「戦後日本における建築家の有名性の生産・流通・消費に関する研究」をテーマにしています。
ただし、建築家の有名性を、記号論として扱おうとしているわけではありません。建築ジャーナリズムの形式やメディア環境の変化はもちろん、大きくは近代、国民国家、戦後民主主義、消費社会とも有名性は関係しています。他方で、有名性は建築界が歴史的に抱えてきたさまざまなヒエラルキーや構造的問題などとも表裏一体となっています。それにクライアントも信頼や顕示的消費として、建築家の有名性というか署名を欲望しているという側面もあります。
建築史では、建築家と作品がセットで単線的に捉えられ、そこから様式や時代背景が語られがちですが、僕の場合は、そのセットの周りにあるコンペとかマスメディア、クライアントというもののネットワークを重層的に捉えることによって、建築史を斜めに読み替えていこうとしています。たとえば丹下さんのクライアントの属性が50年代、60年代、70年代でどう変わってきたか、またそれが建築のスケール、ビルディングタイプ、地理的分布にどのように影響を及ぼしてきたか、時代ごとに有名性を支える条件がどのように変質してきたか、などです。建築家の有名性の特徴のひとつは、有名性がメディアや、それによって駆動される建築界の中だけで流通するわけではなくて、クライアントなどと接点を持ちながら、都市の中に物理的に空間化され、社会に埋め込まれていくところにあると思います。まさに、建築家の有名性は空間化された表象としてあります。そのような都市とメディアが交わるところに位置づく有名性をめぐるダイナミズムを捉えるには、社会学者のピエール・ブルデューやハワード・S・ベッカーが言う「芸術界/場」の議論を援用して建築界という枠組みの細部を詳察しつつ、それをルフェーヴル的な都市・空間論のアプローチと接続し、拓いていくことが有効だと考えています。そういう意味では、卒業論文での関心が現在まで、ゆるやかにつながっていると思います。
この前半では、以外にも大阪出身ということで見知った場所の話も交えつつ、なぜ社会学を専攻され、その後どのように都市、建築という領域へと歩みを進めていかれたのかを伺った。
Q:大阪ご出身ということですが。
はい、堺市の泉北ニュータウンというところです。堺の旧市街ではなく、郊外のニュータウンで、学部は神戸大学でした。最初は自分の興味のある分野が、哲学、社会学、心理学なのかの区別はあまりついていなかったんですが、専攻を決める3年生の時点では、マスコミュニケーションやマスメディア、都市の群衆や大衆文化など、マスが付くものに関心があるということがわかってきていたので、そのマスを分析対象とする社会学を選択しました。
京都でのレクチャーということで多少詳しく言いますと、泉北ニュータウンからは難波まで直通の電車が走っています。その間で、古墳群、臨海工業地帯、西成の「あいりん」地区などを車窓から目にしながら難波まで行くので、色々考えさせられるわけですね。一方、電車の駅と駅でいえば、郊外と都心のあいだを行ったり来たりしていたわけです。電車から降り立った難波、心斎橋、梅田などの場所に感じる空気感や、地元とは違う高揚感の実体とは一体何なんだろうかと、小さい頃から気にはなっていました。今にして思えば、互いに匿名的な関係にある人びとが寄り集まって生まれるダイナミズムや現象自体を客観的に分析することに興味を持っていたのだと思います。
このように、何となく都市論をやりたいなと思っていた3年生の2000年に、アンリ・ルフェーヴルの『空間の生産』の翻訳が出たのですが、分厚い本で目にとまりやすかったということもあり、たまたま梅田の紀伊國屋で手に取りました。学生には高価な本だったのですが、タイトルや目次に魅かれて、思い切って購入し、何度も読みました。
それまで、いわゆる建築家とかプランナーと呼ばれる人が設計してつくり出す物理的空間だけが基本的には空間だと思っていたのですが、ルフェーヴルは、中立的で透明な容器として空間を捉えることはしませんでした。たとえば、権力、知、規範が空間化されていることや、既存の地図などによって空間の知覚や経験が規定されていることを見抜く一方で、ユーザーのアクティヴィティが空間を改変する可能性などを見出したように、知覚、思考、行為が一体となった社会を空間性として捉え、さまざまな主体が空間を生産する様態を動態的に記述しようとしたのです。それこそアトリエ・ワンの塚本由晴さんが最近言っているような、人間の振る舞いだけでなく生命、経済、エネルギーの振る舞い自体も空間を生産する一つのエージェントとして見なす、ということにもつながっています。大袈裟かもしれませんが、ルフェーヴルの本によって、僕の今までの認識というかモノの考え方が、がらっと変わるような経験を味わいました。ただし、ルフェーヴル自身はオーソドックスな社会学者ではなく、学部時代にも授業で登場することはない存在でした。そこでこの人はどういう学説史的位置にあるのかを調べ始めると、上野俊哉さん、花田達朗さん、毛利嘉孝さん、吉原直樹さん、吉見俊哉さん、若林幹夫さんなどの社会学系の人たちが、メディア論、地理学などと関係づけながらルフェーヴルを受容、紹介していることを知りました。そして卒業論文では、ルフェーヴルの日常生活批判や都市・空間論を読み込み、それがシカゴ学派の都市社会学から、マニュエル・カステルらの新都市社会学への転回においてどう位置づけられるのか、またそれが場所論をめぐって、デヴィッド・ハーヴェイやエドワード・W・ソジャなどのポストモダン地理学やカルチュラル・スタディーズという隣接する都市・空間論のなかにおいて、どのような射程を持ちうるかを探るという学説史的な研究をやりました。
Q:大学院からは東京大学に進学され、学際情報学府に籍を置かれ田中純氏の研究室に入られます。なぜ社会学部ではなかったのでしょうか?
先ほど挙げた先生方の多くは、『10+1』によく登場されていました。僕にとって『10+1』の影響は大きく、多木浩二さんの建築論はもちろん、工学系の人の都市・建築論やリサーチなどもよく読んでいましたが、そのなかでディシプリンの垣根をものともせず、それらを縦横無尽に横断して編み上げる田中純先生の文章が、とても刺激的でした。またその頃、田中先生連載の『都市表象分析Ⅰ』や若林先生の『都市のアレゴリー』も単行本化されていました。僕が大学院に進学したのは、情報学環・学際情報学府が出来て3年目だったんですけど、指導教員として志望した田中先生がおられたこと、それに博士課程で副指導教員をお願いした吉見先生や、同じくルフェーヴルと公共圏に関する本をまとめられた花田先生らがおられたことが僕にとっては魅力的でした。学部の時には、ルフェーヴルの都市・空間論を中心とした学説史的な勉強をしていたのですが、もう少し具体的なレベルで都市空間をフィールドワークするなり、分析したいと思っていました。その具体的なレベルとして、僕の場合は建築に興味を持ちました。
先ほど神戸大学出身と言いましたが、キャンパス周辺には六甲の集合住宅とか、作品集にはあまり出ないような、安藤さんの昔の建築もたくさんあります。ちょうどその頃というのは『Casa Brutus』が出てきた頃で、『建築MAP』の京都、大阪/神戸版も出揃っていたので、趣味として建築を見て回り、メディアを通じて作品としての建築を見るまなざしを受容していました。そのようにして、研究とは別に、文化資本のようなものとして建築を消費していたと言えます。
けれども、ルフェーヴルの議論では、基本的にはル・コルビジエなどの建築家が、均質的な空間を作り上げるテクノクラートやイデオローグとして問題視される、建築家批判が展開されるわけです。つまり、僕の中では、ルフェーヴルなどの研究を通した、建築家をめぐるエリート主義への批判意識というものがある一方で、建築を文化資本として消費して楽しむ自分がいるというように、アンビバレントな関係があったんです。さらには、従来の社会学というのはどうしても無名性や建物の集合に関心があり、作品としての建築ということにはあまり関心を向けていませんでした。
そういうこともあって、対象を建築のレベルにまで降ろそうと思い、工学部系の建築や都市計画の本などを右も左もわからないまま、回り道をしながら読み始めました。そういう意味でも、既存の枠組みにはおさまりきらない「学際」を掲げ、理系の研究者も共存する研究科は居心地がよさそうなところに映ったんですよ。
まず修士課程では、そもそもルフェーヴルが当時(60・70年代)の建築界でどう受容されたかを調べてみたいと思ったんです。でも、ルフェーヴルの議論から建築までは距離があるので、その時に僕が媒介項として置いたのが、シュチアシオニストのなかでも、オランダ人のコンスタントのプロジェクト「ニューバビロン」でした。日本ではすでにギー・ドゥボールの『スペクタクルの社会』やシュチアシオニストの機関誌も全部翻訳が出ていました。だから社会思想史とかボードリヤールとかにつながる消費社会論の文脈では定着していたんですけど、建築の分野では紹介文などが散在的に存在しているだけでした。それでルフェーヴルとも私的に交流があったコンスタントのニューバビロンとルフェーヴルの都市・空間論との関係や、それを経由して60年代のチームXのアルド・ヴァン・アイク、スミッソン夫妻、ヨナ・フリードマンらやその後のアーキグラムなどに与えた影響を探り、シチュアシオニストと同時代の建築界との連続性や差異を考えることを修士論文でやりました。
Q:南後さんは博士課程に在籍中に『10+1』の40号で「建築家の有名性」についてお話しされています。有名性の議論とルフェーヴルの議論はどのようにつながっているのでしょうか。
ルフェーヴルというのは、基本的に先のコルビジエなんかを抑圧的で抽象的な空間を生産する主体として批判していくんです。ルフェーヴルは本質的な計画主体として建築家を批判するけれど、建築家の存立様態や、それこそ建築家の表象は、単純なものでも自律したものではないし、コルビジエが語る思想や概念自体が純粋に空間化されるわけではありません。建築は当たり前ですけど集団的生産物で、事務所内、設計組織の属性のあいだにもいろんなヒエラルキーがあるし、クライアント、コンペ、マスメディアなどの色々な制約条件があるわけです。そういう意味では、社会学で言う建築界の「ハビトゥス」へと肉薄する必要があります。
その点、ルフェーヴル自身は、建築の生きられ方の話になると、物理的な空間の使用の多様性への着目に終始しがちだったように思います。つまり、建築へ向けられるまなざし、建築家の社会的位置、あるいは建築をめぐるさまざまな言説自体の生きられ方というのも合わせて考えていく必要があると感じていました。もちろん、ルフェーヴルの空間論の枠組み自体はそれらを捉える射程を持っているのですが。
しかも、自分自身は有名建築家を入口として建築に触れていったというのがある。ただし、たとえば『建築MAP』とか『Casa Brutus』というメディアは、見るべき作品としての建築をマッピングすることによって、有名と無名、図と地の関係をつくり出していっているわけですよね。図としての建築の周辺というのは、当然ながら地として見えなくなっているわけです。だからその図と地の関係とか、有名と無名の関係自体を、連動したものとして捉えないといけないのではという思いを強くするようになりました。それで、今まではどちらかというとシチュアシオニストやグラフィティ文化など、無名性や匿名性に関するものに研究関心があったのですが、現在執筆中の博士論文では「戦後日本における建築家の有名性の生産・流通・消費に関する研究」をテーマにしています。
ただし、建築家の有名性を、記号論として扱おうとしているわけではありません。建築ジャーナリズムの形式やメディア環境の変化はもちろん、大きくは近代、国民国家、戦後民主主義、消費社会とも有名性は関係しています。他方で、有名性は建築界が歴史的に抱えてきたさまざまなヒエラルキーや構造的問題などとも表裏一体となっています。それにクライアントも信頼や顕示的消費として、建築家の有名性というか署名を欲望しているという側面もあります。
建築史では、建築家と作品がセットで単線的に捉えられ、そこから様式や時代背景が語られがちですが、僕の場合は、そのセットの周りにあるコンペとかマスメディア、クライアントというもののネットワークを重層的に捉えることによって、建築史を斜めに読み替えていこうとしています。たとえば丹下さんのクライアントの属性が50年代、60年代、70年代でどう変わってきたか、またそれが建築のスケール、ビルディングタイプ、地理的分布にどのように影響を及ぼしてきたか、時代ごとに有名性を支える条件がどのように変質してきたか、などです。建築家の有名性の特徴のひとつは、有名性がメディアや、それによって駆動される建築界の中だけで流通するわけではなくて、クライアントなどと接点を持ちながら、都市の中に物理的に空間化され、社会に埋め込まれていくところにあると思います。まさに、建築家の有名性は空間化された表象としてあります。そのような都市とメディアが交わるところに位置づく有名性をめぐるダイナミズムを捉えるには、社会学者のピエール・ブルデューやハワード・S・ベッカーが言う「芸術界/場」の議論を援用して建築界という枠組みの細部を詳察しつつ、それをルフェーヴル的な都市・空間論のアプローチと接続し、拓いていくことが有効だと考えています。そういう意味では、卒業論文での関心が現在まで、ゆるやかにつながっていると思います。
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だいたい半分まできました
Q:社会学という方面から建築・都市を語ることの意義とは何でしょうか?
僕にとって建築家とか、作品としての建築というのに、少年時代はほぼ無縁だったわけです。たとえば一生のうちで住宅を建てる機会が1回か2回あったとしても、そこでの選択はハウスメーカーだったり建て売りだったりマンションだったりするので、一般の人と建築家というのは交わることがないかもしれない。
それに社会学における建築に関する研究も、住宅と家族の関係についてのものなどは別として、あまり蓄積がありません。また、よく言われる話ですが、上野千鶴子さんと山本理顕さんの対談に典型的なように、先のルフェーヴルと同様、基本的に建築家は空間決定論者や空間帝国主義者として捉えられることが多いわけです。乱暴に言えば、建築家が自分の思想や理念を表現として押し出すことで、基本的に使いにくく、とんでもない建物が出来るという類いの枠に収まるものです。建築家の批判のされ方も定式化しています。建築家と社会学者はすれ違ったまま、むしろその齟齬が面白いとされてきたのかもしれません。
もちろん、距離を保つことで建築界の駄目なところ、不毛さみたいなものに気付くんですが、社会学者も、建築界のハビトゥスとか建築史の流れを深く理解し、肌で感じないと、生産的な議論の発展が望めませんよね。
その点では、同世代の建築家との交流がとても刺激になっています。研究としての参与観察をするつもりはないですけど、メタなレベルと現実的なレベルを行ったり来たりすることが必要だと思っています。しかも、研究に限らず、建築とか都市というのは、他者や公共性と関係を持たざるをえないし、もっとマスに開かれてしかるべきものですよね。とくに面白いアイデアがある若手建築家は多くいるのに、狭い意味での建築界でどれだけ評価されても実際に活躍する場は限られているし、制度的にも不安定な立場に置かれていて、とてももったいなく感じます。そういう意味では、ナイーヴな言い方かもしれませんが、建築・建築家と社会の距離をもっと縮めたいというのがあるんですよ。まだまだ建築のことも勉強不足ですが、今後は、建築界の内向きに語ることよりも、社会とのメディエーター的役割を積極的に果たせればと思っています。
Q:同世代の建築家との交流という話が出ましたが、最近では建築家の柄沢祐輔さんや藤村龍至さんとともに「批判的工学主義」に関する議論を展開されていますが、どういう経緯で「批判的工学主義」へコミットされていったのでしょうか?
ルフェーヴル関係で言うと、アトリエ・ワンの塚本さんが藤村さんの先生ということもあって、僕の書いた文章を読んで頂いていたようです。藤村さんとは先の『10+1』の現代思潮研究会で一度お会いしたことがあったのですが、ちょうどプリズミック・ギャラリーで藤村さんが展覧会をする予定があり、フリーペーパー『Round About Journal』の動きも始まりつつあった頃に、建築家の今村創平さんの仲介もあって、ハウス&アトリエ・ワンで塚本さんと藤村さんにお会いする機会がありました。その時に、藤村さんから対談かインタビューの話を頂きました。そして、たまたま僕の大学院の方でもUMAT(Ubiquitous Media: Asian Transformations)という国際会議を開催する動きがあったので、どうせなら一緒に何か発表しましょうということになったんです。そこに柄沢さんも参加するという話になり、『10+1』47号での鼎談を経て、UMATで初めて「批判的工学主義」という概念を打ち出しました。その後、『10+1』49号、Live Round About Journal、『建築雑誌』2008年6月号など、イヴェントや依頼がある度に集まっては色々議論してきました。
Q:2008年に入り、「批判的工学主義」に関する議論が活発に行われるようになったことについてどう思われますか?
たとえば、タワーマンションやショッピングモールなど、圧倒的な速度や量をもってして現代の都市空間を規定しているジェネリックな風景に対して、括弧付きの建築家は語るべき言葉も方法論も持ち合わせてこなかったと思います。これは都市空間の無名性に関する自分の問題関心とも接続するものです。
現状の都市・建築をめぐる社会学的診断というか、いわば現代の建築家が置かれている社会的位置を踏まえた姿勢とも言えるのではないでしょうか。だから特定の建築家としての藤村さんや柄沢さんだけが取り組むべき問題ではなく、建築界全体が無視することができない問題のひとつとして、アトリエ系事務所、組織・ゼネコン系事務所、研究者の垣根を越えて、多くの人に開かれたものにできればと思っています。
設計組織のあり方自体を再構成するような議論のプラットフォームをつくりたいというモチベーションもありますが、そろそろ批判的工学主義に関する建築のヴィジュアル・イメージや建築の型も色々見てみたいところですね。
もう一つは、現代の建築家がシチュアシオニスト的問題意識と接続するならば、たとえば都市の隙間や点に注目しがちであった「空間から状況へ」展(ギャラリー間・2000年)とは違って、都市と建築の関係を表層レベルではなく、システム、情報、経済、制度などの深層レベルから捉え直していかなければならないと考えています。シチュアシオニストも資本による都市空間の編成や郊外化の進行にはとても敏感でした。現代においてシチュアシオニスト的実践が建築として可能ならばどういうことがありうるのかを考える一つの物差しとしても「批判的工学主義」を位置づけています。
Q:今回のテーマ「マックスバリュー」に関して、社会学的視点からどのようなアプローチがあると思われますか?
社会学というのは、所与とされているものの自明性を疑うところから始めるわけです。たとえば自分の価値観に内在する他者性というものを浮かび上がらせるのが社会学のアプローチのひとつなので、そういう意味では当たり前とされたり、マスメディアによって操作されがちな価値を、多角的に分析することによって顕在化、意識化させるということがあると思います。
建築に関して言えば、建築に興味がない人にとって、空間は無意識のものとしてあるというか、あえて距離を取ってそれらを眺めるまなざし自体、持ちにくいものですよね。しかも公共建築のワークショップや説明会でも、一般の住民には、空間に関する思考の道具の数が絶対的に少ない。そういう意味では、大人になってからではなく、小学校・中学校ぐらいから空間の「リテラシー」――空間の批判的な読み解き能力と創造的な発信・表現能力――を育むような教育プログラムやソフトを、建築家と協働して開発して、社会や総合学習の時間に導入することができれば面白いんじゃないでしょうか。その方が、景観や環境をめぐる取り組みの底上げにもなると思います。たとえば、辰野金吾が東京駅を設計したという端的な事実を歴史の科目で暗記することはあまり重要じゃないわけです(笑)。そうやって空間のリテラシーを豊かにすることは、街を歩いている時とか公共建築を使っている時に、建築や都市が持っている潜在的な有用性を導きだすことにもつながっていくと思います。
Q:今回のレクチャーについてお聞かせください。
1回目と2回目は、シチュアシオニストの実践とルフェーヴルの都市・空間論について、できるだけ詳しく話したいと思います。ただし、それらを60・70年代の今まで日本ではあまり紹介されてこなかった都市・建築論として了解するだけで終わらせるのではなくて、それらが抱えていた問題系を現在の僕たちが生きるならば、どういう方向性があり得るのかということを皆さんと一緒に考えることができればと思っています。3回目は、シチュアシオニストとも間接的につながるグラフィティに関するフィールドワークを紹介し、具体性を与えたいと思っています。グラフィティは匿名性に関する話なんですが、4回目は、それと表裏一体にある建築家の有名性が社会において生産され、また建築界の中で生産された有名性が、マスメディア、クライアント、コンペなどを通じて流通し消費されていくというメカニズムを考察していきます。『新建築』『建築文化』などにおける建築専門誌における建築・建築家の表象のされ方と一般紙誌での表象のされ方はどう違うのか、たとえば50・60・70年代の丹下さんとか黒川さんはどうまなざされていたのかを、週刊誌、女性誌、ファッション誌などのヴィジュアルを豊富に交えながら話していきたいと思います。それによって建築家のステータスとか社会的なポジションといったものが、歴史的にどう変わっていったのかを示せると思います。5回目は、受講者の皆さんに、さまざまなメディアを横断するかたちで、有名性と無名性の価値に関してプレゼンテーションしてもらい、ディスカッションをしたいと思っています。内容は、建築・都市に関してでも、そうでない身近な例でも何でもいいです。全体を通して、気軽に質問や意見を出してもらうことによって、一方通行のレクチャーにはしたくないと思っています。
南後由和(なんごよしかず)
1979年大阪府生まれ。社会学、都市・建築論。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。東京大学大学院情報学環助教。
共著に『都市空間の地理学』、『路上のエスノグラフィ――ちんどん屋からグラフィティまで』、『M×M 2007――建築家が語る「都市への処方」』など。
僕にとって建築家とか、作品としての建築というのに、少年時代はほぼ無縁だったわけです。たとえば一生のうちで住宅を建てる機会が1回か2回あったとしても、そこでの選択はハウスメーカーだったり建て売りだったりマンションだったりするので、一般の人と建築家というのは交わることがないかもしれない。
それに社会学における建築に関する研究も、住宅と家族の関係についてのものなどは別として、あまり蓄積がありません。また、よく言われる話ですが、上野千鶴子さんと山本理顕さんの対談に典型的なように、先のルフェーヴルと同様、基本的に建築家は空間決定論者や空間帝国主義者として捉えられることが多いわけです。乱暴に言えば、建築家が自分の思想や理念を表現として押し出すことで、基本的に使いにくく、とんでもない建物が出来るという類いの枠に収まるものです。建築家の批判のされ方も定式化しています。建築家と社会学者はすれ違ったまま、むしろその齟齬が面白いとされてきたのかもしれません。
もちろん、距離を保つことで建築界の駄目なところ、不毛さみたいなものに気付くんですが、社会学者も、建築界のハビトゥスとか建築史の流れを深く理解し、肌で感じないと、生産的な議論の発展が望めませんよね。
その点では、同世代の建築家との交流がとても刺激になっています。研究としての参与観察をするつもりはないですけど、メタなレベルと現実的なレベルを行ったり来たりすることが必要だと思っています。しかも、研究に限らず、建築とか都市というのは、他者や公共性と関係を持たざるをえないし、もっとマスに開かれてしかるべきものですよね。とくに面白いアイデアがある若手建築家は多くいるのに、狭い意味での建築界でどれだけ評価されても実際に活躍する場は限られているし、制度的にも不安定な立場に置かれていて、とてももったいなく感じます。そういう意味では、ナイーヴな言い方かもしれませんが、建築・建築家と社会の距離をもっと縮めたいというのがあるんですよ。まだまだ建築のことも勉強不足ですが、今後は、建築界の内向きに語ることよりも、社会とのメディエーター的役割を積極的に果たせればと思っています。
Q:同世代の建築家との交流という話が出ましたが、最近では建築家の柄沢祐輔さんや藤村龍至さんとともに「批判的工学主義」に関する議論を展開されていますが、どういう経緯で「批判的工学主義」へコミットされていったのでしょうか?
ルフェーヴル関係で言うと、アトリエ・ワンの塚本さんが藤村さんの先生ということもあって、僕の書いた文章を読んで頂いていたようです。藤村さんとは先の『10+1』の現代思潮研究会で一度お会いしたことがあったのですが、ちょうどプリズミック・ギャラリーで藤村さんが展覧会をする予定があり、フリーペーパー『Round About Journal』の動きも始まりつつあった頃に、建築家の今村創平さんの仲介もあって、ハウス&アトリエ・ワンで塚本さんと藤村さんにお会いする機会がありました。その時に、藤村さんから対談かインタビューの話を頂きました。そして、たまたま僕の大学院の方でもUMAT(Ubiquitous Media: Asian Transformations)という国際会議を開催する動きがあったので、どうせなら一緒に何か発表しましょうということになったんです。そこに柄沢さんも参加するという話になり、『10+1』47号での鼎談を経て、UMATで初めて「批判的工学主義」という概念を打ち出しました。その後、『10+1』49号、Live Round About Journal、『建築雑誌』2008年6月号など、イヴェントや依頼がある度に集まっては色々議論してきました。
Q:2008年に入り、「批判的工学主義」に関する議論が活発に行われるようになったことについてどう思われますか?
たとえば、タワーマンションやショッピングモールなど、圧倒的な速度や量をもってして現代の都市空間を規定しているジェネリックな風景に対して、括弧付きの建築家は語るべき言葉も方法論も持ち合わせてこなかったと思います。これは都市空間の無名性に関する自分の問題関心とも接続するものです。
現状の都市・建築をめぐる社会学的診断というか、いわば現代の建築家が置かれている社会的位置を踏まえた姿勢とも言えるのではないでしょうか。だから特定の建築家としての藤村さんや柄沢さんだけが取り組むべき問題ではなく、建築界全体が無視することができない問題のひとつとして、アトリエ系事務所、組織・ゼネコン系事務所、研究者の垣根を越えて、多くの人に開かれたものにできればと思っています。
設計組織のあり方自体を再構成するような議論のプラットフォームをつくりたいというモチベーションもありますが、そろそろ批判的工学主義に関する建築のヴィジュアル・イメージや建築の型も色々見てみたいところですね。
もう一つは、現代の建築家がシチュアシオニスト的問題意識と接続するならば、たとえば都市の隙間や点に注目しがちであった「空間から状況へ」展(ギャラリー間・2000年)とは違って、都市と建築の関係を表層レベルではなく、システム、情報、経済、制度などの深層レベルから捉え直していかなければならないと考えています。シチュアシオニストも資本による都市空間の編成や郊外化の進行にはとても敏感でした。現代においてシチュアシオニスト的実践が建築として可能ならばどういうことがありうるのかを考える一つの物差しとしても「批判的工学主義」を位置づけています。
Q:今回のテーマ「マックスバリュー」に関して、社会学的視点からどのようなアプローチがあると思われますか?
社会学というのは、所与とされているものの自明性を疑うところから始めるわけです。たとえば自分の価値観に内在する他者性というものを浮かび上がらせるのが社会学のアプローチのひとつなので、そういう意味では当たり前とされたり、マスメディアによって操作されがちな価値を、多角的に分析することによって顕在化、意識化させるということがあると思います。
建築に関して言えば、建築に興味がない人にとって、空間は無意識のものとしてあるというか、あえて距離を取ってそれらを眺めるまなざし自体、持ちにくいものですよね。しかも公共建築のワークショップや説明会でも、一般の住民には、空間に関する思考の道具の数が絶対的に少ない。そういう意味では、大人になってからではなく、小学校・中学校ぐらいから空間の「リテラシー」――空間の批判的な読み解き能力と創造的な発信・表現能力――を育むような教育プログラムやソフトを、建築家と協働して開発して、社会や総合学習の時間に導入することができれば面白いんじゃないでしょうか。その方が、景観や環境をめぐる取り組みの底上げにもなると思います。たとえば、辰野金吾が東京駅を設計したという端的な事実を歴史の科目で暗記することはあまり重要じゃないわけです(笑)。そうやって空間のリテラシーを豊かにすることは、街を歩いている時とか公共建築を使っている時に、建築や都市が持っている潜在的な有用性を導きだすことにもつながっていくと思います。
Q:今回のレクチャーについてお聞かせください。
1回目と2回目は、シチュアシオニストの実践とルフェーヴルの都市・空間論について、できるだけ詳しく話したいと思います。ただし、それらを60・70年代の今まで日本ではあまり紹介されてこなかった都市・建築論として了解するだけで終わらせるのではなくて、それらが抱えていた問題系を現在の僕たちが生きるならば、どういう方向性があり得るのかということを皆さんと一緒に考えることができればと思っています。3回目は、シチュアシオニストとも間接的につながるグラフィティに関するフィールドワークを紹介し、具体性を与えたいと思っています。グラフィティは匿名性に関する話なんですが、4回目は、それと表裏一体にある建築家の有名性が社会において生産され、また建築界の中で生産された有名性が、マスメディア、クライアント、コンペなどを通じて流通し消費されていくというメカニズムを考察していきます。『新建築』『建築文化』などにおける建築専門誌における建築・建築家の表象のされ方と一般紙誌での表象のされ方はどう違うのか、たとえば50・60・70年代の丹下さんとか黒川さんはどうまなざされていたのかを、週刊誌、女性誌、ファッション誌などのヴィジュアルを豊富に交えながら話していきたいと思います。それによって建築家のステータスとか社会的なポジションといったものが、歴史的にどう変わっていったのかを示せると思います。5回目は、受講者の皆さんに、さまざまなメディアを横断するかたちで、有名性と無名性の価値に関してプレゼンテーションしてもらい、ディスカッションをしたいと思っています。内容は、建築・都市に関してでも、そうでない身近な例でも何でもいいです。全体を通して、気軽に質問や意見を出してもらうことによって、一方通行のレクチャーにはしたくないと思っています。
南後由和(なんごよしかず)
1979年大阪府生まれ。社会学、都市・建築論。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。東京大学大学院情報学環助教。
共著に『都市空間の地理学』、『路上のエスノグラフィ――ちんどん屋からグラフィティまで』、『M×M 2007――建築家が語る「都市への処方」』など。
interview by RAD/kawakatsu
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