December 2008 Archives

12月20日は大屋先生レクチャー第2回目。

「自由か幸福か――配慮される社会と私たちの選択」
と題された連続レクチャーは
第一回目「自由と幸福の19世紀システム」参照
に引き続き、今回のタイトル
「監視とアーキテクチュアルな支配」へと入っていきます。

夜道、歩いて帰るときにちょっと暗いな怖いなと思ったことは誰にでもある話。何かが「出そう」で怖い、というむきはさておいても、その場所の暗さが「人の目」を隠してしまうことを恐れているのでしょう。歌舞伎町の例を引くまでもなく近年監視カメラの普及率が増加している理由として、あまねく場所に「誰か」の目を行き渡らせたい、逆に言えば「穴」を作りたくないという欲望があるように思います。必ずしもその「誰か」は人でなければならないわけではない、となれば、監視カメラこそその役にうってつけのものだと言えるのではないでしょうか。

というわけで今回は監視カメラの話からスタート。近年増加傾向にあるとされる監視カメラが、ただ増加したというだけではなく、現在どのような状態をつくりだしているのかを踏まえつつ、それが「アーキテクチュアルな支配」とつながった現状の確認へと進んでいった今回のレクチャー。以下ちょっとくわしめに、ここで言う「アーキテクチャ」とは何ぞやという疑問もほぐしながら、レポートしていこうと思います。 
12月14日は南後先生レクチャー3回目でした。
「都市・建築における無名性の価値、有名性の価値」
と題された南後先生のレクチャーも

第一回:
「都市空間をめぐるシチュアシオニストの実践/建築論としてのアンリ・ルフェーブル」参照
第二回:
「コンスタントのニューバビロンの射程」参照

と続いてきました。そして今回のタイトルがこちら。
「グラフィティ文化のフィールドワーク」

グラフィティとは落書きのこと。でも現在グラフィティと言うと街中のいたるところにスプレーで描かれたアレとかコレとかが頭に浮かんでくることでしょう。今日のお話はまさにその「アレとかコレ」をめぐるものでした。なお、「アレとかコレ」には具体的にこんな種類があります。

・数秒でシャシャっと自らの名前を記す「タグ」
・1、2色を使って数分で文字を書き上げる「スローアップ」
・ガッツリとした絵になっている「ピース」

でも「描かない人」にとってはこの種類もあまり意識にのぼらず、どんな人がどんな場所に何を描いているのかもたいしたことではありません。あくまでも「落書き」「いたずら書き」として眉をひそめられ、規制の対象となる「グラフィティ」、これを軸にしながら、「描く人」が「描かない人」とどのように違う都市体験をしているのかが今回のお話のテーマでした。 
12月13日に行われた五十嵐太郎先生のレクチャー4回目のレポート。タイトルは「始まりの建築(前半)ー95年以降の建築」です。

最近様々な文脈で時代の節目としての95年が語られることが多かったように感じる。確かにこの都市地下鉄サリン事件があり、阪神大震災があった。当時小学生だった私にはそのような印象は特になく、社会をそのようなものとして受け入れざるをえなかったのかもしれない。ともかく、95年が建築界にどのようなインパクトと影響を与えたのかという話からレクチャーは始まっていく。

以下概要です。
12/12に行われた五十嵐太郎先生によるレクチャー3日目。
10月に刊行された『建築と音楽』(菅野祐子と共著)について、主に先生の修士論文でもある「ゴシックとノートルダム学派」を中心に語られました。

建築と音楽の繋がりを意識することは建築を勉強していると無い話ではなく、他の芸術分野にくらべるとむしろ多いのかもしれないが、では両者の繋がりが比喩的なレベルを超えてどのように繋がっているのかになると明確には意識できていなかったように思う。もちろん建築の対象として音楽ホールを設計するとなると、音響や演奏形式との関係を考えない訳にもいかないし、近年だとサウンドスケープというふうに環境の要素として音を捉える見方も定着しつつある。また、音楽で見いだされた音階という比例関係が、建築に比例を用いる際の根拠になってきたことは教科書にもみられる。

以下レクチャーの概要