March 2009 Archives

4/10(fri)のopenlab.はゲストにぽむ企画のたかぎみ江さんをお迎えします。
京都、東京、そして世界をまたにかけに、独自のゆるさの表現で建築の世界をラディカルかつユーモラスに書き換えるチャーミングな2人組、ポム企画。今回はそのポムの京都を拠点に活動しているたかぎみ江さんにおこしいただき、いろいろとお話を伺いながら楽しく建築系トークを展開していきます。ぜひおこしください。 ぜひ

3/13(金) openlab. ・・・けんちく・デザインサロン 
時間/17:00〜23:00 場所/radlab. 
event:ゲストトーク/20:00~ ゲスト:たかぎみ江(ぽむ企画)


ポム企画 ///http://pomu.tv/dare/index.html
こんにちは。
突然ですが、PAPERDESK は4月号からガラリと変わります。
具体的にはこのように変わります。

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 1)通しテーマを掲げる:今回は「リサーチのリサーチ」を予定
 2)4月~9月の各号ではそれぞれにサブテーマを掲げる
 3)10月号として「大PAPERDESK」を出版(増量版)
 4)「大PAPERDESK」では4月~9月号の再構成+αをお届けします
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しかしその代償として出版が遅れております。

そこで、すでに予定を若干変更いたしまして、
PAPERDESKは4、5月合併号を、5月初旬に出版いたします。
そうなんだ、程度で頭の片隅にとどめておいていただけると
嬉しいです。

Volume#5 Power FAQ

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権力に関して頻繁に尋ねられる質問
ボリューム(Volume)
 
 
なぜヴォリューム5号はイメージの分野を取り扱うのでしょうか?
 

権力は常にイメージに巻き込まれ、それなしでは考えることさえできないが、権力なるものはそれらイメージのどこにも見られない。決してだ。権力は特定の行動というよりもむしろ行為への潜在力であるため、権力それ自体は不可視なのだ。このつかみどころのない性格はその力の源である。権力を学ぶためには異なった見方が必要だ—より微妙な兆しをさがし、より広いイメージ領野のモザイクを精査するという具合に。最も強大な力は表面上些細な効果を通して稼動するのである。

Volume#4 Coming up(Editorial)

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カミング・アップ(エディトリアル)
ボリューム(Volume)
 
 
At most, these issues are paid lip-service with vague proclamations. Seldom are these proclamations connected to a sound analysis of the power structures determining architecture's fading role but also its explosive potential. 
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建築に関する声明の漠然さ
これらの号は、せいぜい漠然とした声明を伴う口先だけのお世辞を言われているにすぎない。これらの声明のなかで、建築の衰退する役割を規定するがその爆発的な潜在能力も規定する、権力構造の深い分析と関係づけられているものはほとんどない。
 
 
The consequence is an architecture that is either a subservient instrument for political strategies or the self-appointed therapist of its tormented self. An architecture that has become pointless in its actions, lost in its awareness.
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建築の行動の無意味化
その結末はというと、建築は政治的戦略のための従属する手段、または自己苦悩の自称セラピストのどちらかであるということになる。振る舞いが無意味になった建築は、意識を失った。
スピン・オブ・アーキテクチャー/アーキテクチャー・オブ・スピン
オレ・ボウマン(Ole Bouman)
 
 
英国下院議員ジョージ・ガロウェイが、石油・食糧交換計画への彼の不正関与の可能性を調査していた米国上院のパネルの前に引き出されたとき、彼は共和党の大多数に対して注目すべき痛烈な非難をなす。彼らは自身の保守政策に基づき世界規模で事物のオーダーをせわしなく変化させようとしていた。彼は上院のパネルを「あらゆる煙幕の母」と呼ぶ。2003年イラク侵攻へと至る例の「嘘のつめあわせ」から注意をそらすために使われた、というわけだ。
 
 
祖国ロンドンに戻ったとき、彼は自身の賛同者たちから真実のチャンピオンとして迎えられた。イギリスでもそうだが、根拠なき理由から戦争を実行しようとし、国際法を蹂躙し、誠実さと正直さという倫理的スタンダードに楯つこうとする米国政権に向かって彼は果敢にも声を上げたわけだ。ハロウェイはジョン・ケリーが大統領キャンペーンの時にちょくちょく示唆していたにもかかわらず、ことあるごとに発言を避けようとした内容を敢えて主張した。曰く、保守的なアメリカは嘘に基づく幸福を追い求めている、と。政治的な溝はもはや左と右、急進派と保守派との間にあるのではなく、むしろ嘘と誠との間にある。より深いレベルで、権力闘争は現実を規定し、それらの規定に世界規模の重要性を持つ決定の基礎を据えんとする者に関するものだ。

何もしないってのはそれほど悪いことじゃない
オレ・ボウマン(Ole Bouman)


成功はポートフォリオの充実にかかっている。プロジェクトの規模、名のあるクライアント、有名性の氾濫、そしてナルシスト的で、とりつかれたような、芝居じみてとどまるところを知らないパーソナリティーにかかっていることも忘れてはいけない。抑制のない野心は有名建築事務所や有名建築学校の証であり、そこでは「家に帰ること」はギブアップに等しい。クライアントのプログラムに従った要求を満たすだけの骨折り仕事から逃れたいと願うものにとって、机の下で寝るなどということはよくあることである。まったくノーマル。もしあなたが思考せる創造的な建築家になりたいのならば、何かをなし得るだけではダメで、それをなさねばならない。仕事、仕事、仕事。それをモットーに。


しかし建築はこの量的な意味においてのみ過激主義的だというわけではなく、過激主義的デザインに対する強い好みも持っている―多くというよりも、強度に。おそらく世界で最も議論されている二つのモニュメントを建築するプロジェクトとして、ダニエル・リベスキンドの「グラウンド・ゼロ」計画、そしてピーター・アイゼンマンの「ベルリン・ホロコースト・モニュメント」計画が挙げられる。このどちらもがトラウマ的な不在を物理的にも道徳的にも満たすことを中心的な題目としている。そしてどちらもが悪に犯された場所にある建物を組み込み、どちらの場合にもその解は過激主義的な規模の表現となっている。世界で最も大きいモニュメントだったり、最も高い塔だったりという具合に。一方これらとは正反対の意図による提案も存在した。それはささやかで微妙なサジェストであり、その空っぽさを無効にするというよりはむしろそれを記すことが目指されていた。これらのデザインは知られていないも同然であって、建築家の間でさえそうなのだ。もちろん建つ見込みはない。

建築のための新たなヴォリューム(エディトリアル)
オレ・ボウマン(Ole Bouman )
 
 
あらゆる書かれたものは空間を構成する(これは確かに比喩的な関係ではあるが、非=物質的プロセスのどんな描写も比喩的であるという限りにおいてそうなのである。思考は飛翔し、愛はためらいがちで、憎悪は燃え、そして書かれたものは空間を形づくる)。
 
 
このような事実を考えると、建築家とおなじ道具を私は使用している。私は自らの小説のために空間的なプランを引く。これらの線描は構成のプロセスに必要不可欠のものだ。私はまた自らのマテリアル(つまり言葉)の寛容さや度量を試験し、それから自身の空間的なプランをそうした実際的制限に適うよう調整するのである。私は使用のために建てる。私は自らの読者を見越して自身のテクストを組み立てるのだ。私が書いた空間へ彼らが住むことによって、その意味と機能は永続的に変化するだろう。しばしば私はクライアントの委託で仕事をする。今もそうだ。「編集者」というクライアントは私に圧力をかけ、彼らの要求を通そうとする。そして私はそうする。建築家の社会的スキル―これは一種の「建築的知識」だろうか―は、私が書くときにも採用されるというわけだ。

3月28日13時からREAD TANK開催します。
 AMO+Archis+C-labによる「Volume」を読んでいきます。 

Volumeにかんしてこちらを・・・ 
場所:radlab. 
時間:13時〜17時

参加者募集しています。
■レクチャータイトル
「google的建築家像は可能か-『批判的工学主義』と『超線形設計プロセス論』の可
能性-」

fujimurad@.jpg■概要
「情報化と郊外化に代表される、1995年以後の社会環境の変化を、私たちはいかに読
み取り、いかなる立場で、いかに介入することが可能だろうか。私たちはこれまで、
同世代の建築家、批評家との議論を通じて、その問題の輪郭をつかもうとしてきた。
その過程で浮かび上がってきた『アルゴリズム』『アーキテクチャ』という概念は、
今、どのように建築という行為に関わるか」
開催日:2009/3/27(fri)開始:20:00~ 

場所:Mediashop 

参加料:1000円(1drink)

主催:RAD


印刷用pdf
2月14日は大屋先生レクチャーの第4回目。

すでに約1ヶ月を経ようとしたこの時期にしれっと更新させていただきます。
次回大屋先生レクチャーは3月14日となっております。

「自由か個人か―配慮される社会と私たちの選択」
をテーマとした大屋先生のレクチャーもすでに3回を終えました。

♯1「自由と幸福の19世紀システム」参照
♯2「監視とアーキテクチュアルな支配」参照
#3「先取られる欲望と善意の監視」参照

と続きまして、今回のタイトルがこちら


    「20世紀と自己決定する個人」


唐突ですが、新学期の季節となってまいりました。新中学生、新高校生の方々にとって「制服がダサくて垢抜けないからモテない」のはひとつの問題です。一面では制服によって個性が消され、服装を選ぶという自由が排除されている、とも取ることができます。制服を無くそうという運動がこうした流れで起こることも無理はありません。でも他方で、その制服を着て「垢抜けず」「モテない」のは「私」のせいではないとも言える。あくまでも制服が悪いと言い張ればいいのです。ところが、もし制服が廃止され、服装を毎日「自由に」選び続けなければならなくなると、そのモテない「責任」は「私」に降りかかってくるのです。それでなくても、毎日服装を考えないといけないことは、単純に言って面倒でしょう。一時期起こった制服廃止論が結局制服の全廃を実現できなかったのは、まさにこの「自由から逃走したい」という人々の欲望から来ていたと考えられるのです。

第1回目で見たように、19世紀において自由は幸福と一致していた、と考えられていました。そして自らの幸福についてもっとも正しく判断することができるものこそが個人であると信じられていた。ところが、上に述べた制服の例でも示唆されるように、19世紀から遠く離れ、その「個人」のあり方がちょっと変わってきているのではないか、というお話が今回レクチャーのスタートです。

では以下レクチャー内容をさっくり振り返っていきましょう。 
3/13(fri)のopenlab.はゲストに森山茜さんをお迎えします。
現在ストックホルムのコンストファック王立工芸大学大学院テキスタイル応用学科在籍の森山茜さんに、一時帰国にあわせてお話を伺います。
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近年デザイン界のみならず建築の分野でも注目を集めるテキスタイル。
その可能性を自身の建築というベースから新しい表現へと繋げていこうと活動されています。
テキスタイルデザインの本場、北欧からの貴重なレポートを聴くことの出来るよい機会になると思います。
お楽しみに。

radlab.@SHIFT CITY GUIDE

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 札幌を拠点に活動しているSHIFTが運営するweb上のCityGuideにradlab.が掲載されました。 


よろしければごらんください。

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