Volume#2 Doing Nothing is Almost All Right(Editiorial)

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何もしないってのはそれほど悪いことじゃない

オレ・ボウマン Ole Bouman

成功はポートフォリオの充実にかかっている。プロジェクトの規模、名声のあるクライアント、有名性の氾濫、そしてナルシスティックで、とりつかれたような、そして芝居じみた、とどまるところを知らないパーソナリティーにかかっていることも忘れてはいけない。抑制のない野心は有名建築事務所や有名建築学校の証明であり、そこでは「家に帰ること」がギブアップに等しい。クライアントのプログラムに従った要求を満たすだけの骨折り仕事から逃れたいと願うものにとって、机の下で寝るなどということはよくあることである。完全に正常だ。もしあなたが思考する創造的な建築家になりたいのならば、あなたが何かをなし得るだけではダメで、それをなさねばならない。仕事、仕事、仕事。それをモットーに。


しかし建築はこの量的な意味においてのみマキシマリスティックだというわけではなく、マキシマリスティックなデザインに対する強い好みも持っている――多くというよりも、強度に。おそらく世界で最も議論されている二つのモニュメントを建築するプロジェクトとして、ダニエル・リベスキンドの「グラウンド・ゼロ」計画、そしてピーター・アイゼンマンの「ベルリン・ホロコースト・モニュメント」計画が挙げられる。これらのどちらもがトラウマ的な不在を物理的にも道徳的にも満たすことを中心的な題目としている。そしてこれらのどちらもが悪に犯された場所にある建物を含み、どちらの場合においてもその解はマキシマリズムな規模の表現となっている。世界で最も大きいモニュメントだったり、最も高い塔だったりという具合に。そしてこれらとは正反対の意図による提案も存在した。それらはささやかで微妙なサジェストであり、その空っぽさを無効にするというよりはむしろそれを記すことが目指されていた。これらのデザインは知られていないも同然であって、建築家の間でさえそうなのだ。もちろんそれらが建つ見込みはない。


アイデアをただ記すだけの建築家なんてほとんどいない。重要なことはマキシマルな宇宙を仮定することだ。それはうまくいくに違いない、それも完全にうまくいく。でも問いは開かれたままだし、小さいな溝も埋められないままだ。建築は完全なる作り変えを好む。微妙にひと触れするよりも、現実感に触れ直すことを好む。建築は常に戦略を練りたがるわけだ。たとえ戦術のほうが明らかによりよい選択だとしても。


「建築よ、自らを越えろ」というのはボリューム第一号のモットーだった。私たちは建築的知識が適用される新たな領域をいくつか描写した。建物を越えて。アムステルダムではこの号はオランダで最初の宇宙飛行士であり、1985年にチャレンジャー号で宇宙旅行をした、オランダが世界に誇るウッボー・オックルズによって文字通り打ち上げられた。彼は後にこう言った。「惑星に行く」ことは偉大なる企てであり信じられない経験なのだが、空間の究極的な自由と無限さを察知したり理解したりするためには、少なくともどこかに参照点が必要だ、と。数学、医学、文学、ヴィジュアル・アーツ、衛星技術、、、これらの領域もまた膨大な量と極めて小さな量との間でどちらをとるか選択をせまられる。そこでもまた、私たちは力への意志、理解への意志、美への意志、社会奉仕への意志と、破壊への意志との間にある違いを見る。物事をなすことは程度の問題なのだ。だからこそこの号がある。本号は、建築的な意志の分析、そしてその正しい用量を決定する方法を考察していく。


下訳/榊原

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