rep:10月3日「菊地宏/FOTOTEST」ギャラリートーク

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2009年10月3日、13時、radlabにて
菊地宏「FOTOTEST」展のためのギャラリートークが開かれた。
 
 
会場は満席。座席の背後には立ち見の方。開始15分前、何を話しますか、との質問に、まだ決めてないとの答え。氏はこの日のトークをすべてアドリブで話された。「教職もしているから人前で話すのは慣れている」とのこと。
 
 
約一時間のギャラリートークは前半と後半とに分かれていた。前半は、建築家が自作を自ら撮影することについて。そして後半はもうすこし日常的なことについて。会場に置かれた菊地氏自身によるテクストの中でも触れられているが、今回の展示作品は、氏自らが設計した住宅を氏自らが撮影し、氏自らが現像した写真を氏自らが加工する、という複層的な構造を持っている。「TEST」と称する通り、曲げを加える、画質を落とす、表面を覆う、角度をつける、縮小するといったさまざまな実験の結果が、ここに表現されている。もしその撮影が他者によってなされていたならばこうはいかなかっただろう。建築家は写真家の撮影した写真を一切加工できないからだ。 
 
菊地氏が設計する建物では光が特徴的であるとされている。どのように取り入れるのかを尋ねると、「減衰させるようなイメージ」だと言う。それに続く氏の言葉からは、室内に立てられる壁面、そしてその壁面の色、窓の位置、これらを光の「絞り」としてとらえているように感じられた。この比喩をそのまま写真へと接続することも可能だろう。菊地宏というファクターを通して、写真と建築とが光の相の下で手を組むのである、と。しかし、これでは足りない。この言い方はさらに深化させることができる。それは一体どのようにして可能なのだろうか。
 
 
その鍵は今回の作品の中にある。「FOTOTEST」ではさまざまな実験がなされていると先に述べた。しかし、単に多様な試みがなされているだけではない。各作品をつぶさに見比べればわかるとおり、これら多様な実験において共通する点がひとつあり、それはどの作品も高解像度から遠ざかろうとしているということにある。
 
 
前半部においてポイントとなったのはまさにこの点だった。テクノロジーの発展により、いまや誰が撮影しても「画になる」程の性能を持ったカメラは容易に入手することができる。しかしその高解像度の、はっきりくっきりした表面によって、逆説的に見えなくなってしまうものもある。距離感がそれだ。写真とは何かの記録ではなく、ある一定の記憶を喚起させるものとしてあるように思う、と語る菊地氏にとって重要なものとは、それに手が届かないこと、到達し得ない、その永遠の遠さだ。より強く想像力を喚起する、距離感だ。そしてその到達し得ない距離感への希求は、たとえば畏怖の念だとか、あるいは崇高だとかいう言葉に置き換えることができるのかもしれない。氏の多彩な活動は、一点、この畏怖の念へと向かっているように思われる。
 
 
ただ、言い添えておくべきは、今回の作品において、まさにその批判対象となる高解像度の「データ」が使用されているということだ。ゆえに、「FOTOTEST」における「TEST」とは、写真をどのように加工できるか、に関するものではなく、いかにして「外在的に」写真に距離感を獲得させうるのか、に関するものなのである。
 
 
溢れんばかりの光を減衰させること。それによって、距離感なるものを現前せしめること。これが建築家菊地宏のなさんとするところだ。今回の「FOTOTEST」において提示されるものは、建築家による建築写真ではない。写真というまたひとつのメディアを使用し、まぶしすぎる高解像度のデジタルイメージから、外在的加工をもって「光」を減衰させようとする試みだ。目指される帰結は、距離感の現前。そして建築がその遠さの中に消滅することだ。この意味において、「FOTOTEST」は、まさしく菊地宏のなさんとするところを十全に表現する。先の問いを受けるならば、この場所でこそ、建築と写真との関係性をより豊かに語ることができるのではないだろうか。

 
「趣味でよく山に登る」という後半部の切り出し。ヘルツォーク&ド・ムーロン事務所に勤務していたスイス時代、4000メートルを超える崖を目の前にしたときに、突如としてさまざまな感覚が覚醒したという話。とりわけ色と物質感。氏はこぼす。「残念ながら」「建築よりも自然のほうが美しいと思ってしまう」。引き合いに出された例は、湖だった。静かな水面は鏡のように風景を反射する。そのとき足元にはでこぼこした地面があるだろう。氏の言う物質感とは、このような物質のコントラストのことを指している。そしてこの湖は、そのまま菊地宏の建築を語ることになる。
 
 
しかし重要なのは、これらの自然を氏の建築のモチーフだと短絡しないことだ。「写真は建築の確認作業」だと語る氏にとって、建築もまたひとつの確認作業なのである。何を確認するかは繰り返すまい。菊地宏にとって、建築も写真も、距離感の、つまり崇高なる自然が喚起するあの遠さの、相の下に同等のものとして存在するのだ。
 
( RAD / S )

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