January 2010 Archives
QueryCruise vol.2の2010年1月24日25日分「都市景観の「値段」とその評価基準について考える」を担当していただく京都大学大学院工学研究科都市社会工学専攻助教大庭哲治先生へのインタビューです。今回の後半部では担当していただくレクチャーの配分、それから「よい」景観とは、などなどについておうかがいしています。
前編の様子はこちらから。ではどうぞ。
-----
とりあえず今回は前編。ではどうぞ。
オレ・ボウマン
『ボリューム』誌前号の編集長が、本誌でその創刊から書き続けてきた「求められない建築」を最も具体的な形にして提示してくれた。建築を超えていく、という考えがいかに行動に移されるのかを例示しながら、ボウマンはOUA(Office for Unsolicited Architecture)を設立することによって批評的実践の新たな断面を示してくれるだろう。
人々があれこれの死について語っていたときのこと を思い出してみよう。私たちはたくさんの葬式をあげた。ミシェル・フーコーは人類の死を言い張ったし、ロラン・バルトは作者の死を断言した。小説、真正 性、進歩、啓蒙、そうやって名指したものについて、哲学者たちは慰霊祭で話しあった。人々はまだ生きていたにもかかわらず、本はいまだ書かれて、進歩もま だまだなされていたにもかかわらず、それらはすべて生ける屍の文化だったというわけだ。過去もなければ未来もない。なぜなら歴史もまた死を宣言されたから だ。
戦後期から建築の生産に目覚しい変容が見られてきた。第二次世界大戦以前、小サークルによって仕組まれ、ほとんど試験されなかった(モダニズムの)プログラムは、戦後西欧世界から展開していき、世界中のさまざまな地域に影響 を与えた。その適合、つまりそのプログラムの成功は、多かれ少なかれそれらの国の政治的システムから独立しているように見えた。共産主義圏においては、資本主義圏と同等に熱狂的な、あるいはそれに比較して「光、空気、そして空間」のあり方がより効果的な最小限住宅を生み出した。ヴィジョナリーな建築家とモダニズムの見さかいのない物質化との間にある直接的なつながりに関していくつかの歴史的な議論が残っている。後者は郊外の形態、大規模なインフラや摩天楼というかたちをとり、しかしそれをドライブする人あるいは物―経済学やイデオロギー—をエスタブリッシュすることはない。ともあれ、その権力と精神との調和的な協同は事実である。
これは建築事務所が専門的な企業になったときにもそうなのである。建物
やその近隣だけではなく、都市全体をデザインしたり建設したりする何百人の雇用者を抱えた事務所もあった。建築家が関わる限り、増加する建設規模は、大きな、とても大きな会社への手へと落ちていく。都市計画から住宅のフロアプランまで、あらゆるものが単一の企業によって提供されうるのだ。これらすべてが建設状況の急速な変容、そして小さなスケールから産業生産までに関与する企業によっている。工業化を背景にした構成要素の利用が次第に増してきたことによって、建築企業は社会が、つまり政府が、欲する生産を達成することができたのである。建築家にとって、それは発見と問題解決の状況であった。問題解決とは、たとえば、大規模という問題にどのようにして取り組むのかということを指している。建築家はもはやクライアントひとりの表現された希望によるのではなく、むしろ一度期に数百のあるいは数千の住宅のために特色を打ち立てねばならない。(裕福な)クライアントの欲望や、文化的な価値の表現に手一杯である(あるいはそうなるかもしれない)分野から、明白に目標が定められた社会的な職業へのシフトは、間違いなく強烈なショックであって、最もドラマチックな変容であり、同時に建築家という専門家集団がかつて向き合ったもののなかでも最も大きな挑戦
だったのだ。

Recent Comments