November 2010 Archives
12月1日から12月7日までの1週間、
現在ヴィラ九条山に滞在中の仏人建築家
オリヴィエ・ブーシュロン(「nelobo」)の仕事を紹介します。
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nelobo|Heterotopias
期間:2010.12.1(水) - 12.7(火)
時間:13:00 - 20:00(12.4のみ18:00まで)
会場:LABORATORY(a.k.a. radlab.)
アクセス:京都市バス停「河原町三条」徒歩5分、京阪電鉄「三条」駅徒歩10 分
ディレクション:RAD
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Event
12.4:mimi party 5 at Villa Kujo-yama
12.7:Closing Party+Mini Lecture by Olivier Boucheron(nelobo)
Continue reading LABORATORY|nelobo|Heterotopias 開催中.
京都三条ラジオカフェ(FM79.7)で毎週土曜午後3時から放送中のラジオ番組「きょうと・人・まち・であいもん」という番組にお呼ばれしましたので、「radlab.」や「LABORATORY」や「hanarerad」についてお話させてもらいました。
11月20日(土)の15時あたりに京都にいて時間がある、だとか、なぜかそのとき京都付近を車で走行中だ、という方はぜひともFMのチューニングを79.7にあわせていただけると嬉しいです。
11月20日(土)の15時あたりに京都にいて時間がある、だとか、なぜかそのとき京都付近を車で走行中だ、という方はぜひともFMのチューニングを79.7にあわせていただけると嬉しいです。
環境保護主義を拡張する
C-Lab
この半世紀で環境への関心はカウンターカルチャー的運動からメインストリームの問題へとシフトした。政治の動向に近年環境問題が突出してきたわけだが、それでもなお特筆すべきはこういうことだ。問題に対する気づきの増加は、世界規模の気候混乱という変化に解決策を与えることとほとんど関係ない。のみならず、建築環境に対する現在的な救済策(LEEDのような)が広く採用されていることは、多くの科学者が必要だと信じている程度—少なくともUS、中国、ロシアやインドのような主要汚染国の間で—で排出を削減しようという国の政策と合致してこなかった。よくある環境保護主義的処方箋の効率性には疑う余地がある。
マイケル・シェレンバ—ガー(Michael Shellenberger)とテッド・ノードハウス(Ted Nordhaus)は彼らの著作「環境保護主義の死※」において、環境運動は新たな戦略を必要としていると指摘する。とりわけ彼らはこう述べる。環境政策改正を提唱する人は、環境を別個の領域として考えることを辞めるべきだ、と。個別のものとして伝達され、問題を含み、故にそれが他の要求と対立するときには却下されてしまうような「あちら」のものとして環境を対象化する限りにおいて、そのような見方をとる人々は他の社会的政治的問題から分離するようにしてその障害を見てしまう。そうではなく、戦争だとか貧困だとか過度な汚染だとかいう人間が作った現象を考えから排除した環境保護主義の狭い枠組みから抜け出すために、二人は環境を他の社会政治的問題を包括するものとして理解することを促す。こうしたアプローチによって、環境保護主義的な想像力は技術的問題に取り組むことだけに限定されなくなり、他方で非効率的な政策を長続きさせる政治的文脈をすっとばすこともできる。シェレンバ—ガーとノードハウスはこうも言う。気候変化は見たところ分断した社会的あるいは政治的イシュー—例えば選挙資金、国際貿易、あるいは富のシステム的不均衡—が環境にもたらす帰結を認識することによって取り組まれるしかない、と。現在、環境保護主義が決定しているトピックは多く彼らの活動見通しのらち外にある。
C-Lab
この半世紀で環境への関心はカウンターカルチャー的運動からメインストリームの問題へとシフトした。政治の動向に近年環境問題が突出してきたわけだが、それでもなお特筆すべきはこういうことだ。問題に対する気づきの増加は、世界規模の気候混乱という変化に解決策を与えることとほとんど関係ない。のみならず、建築環境に対する現在的な救済策(LEEDのような)が広く採用されていることは、多くの科学者が必要だと信じている程度—少なくともUS、中国、ロシアやインドのような主要汚染国の間で—で排出を削減しようという国の政策と合致してこなかった。よくある環境保護主義的処方箋の効率性には疑う余地がある。
マイケル・シェレンバ—ガー(Michael Shellenberger)とテッド・ノードハウス(Ted Nordhaus)は彼らの著作「環境保護主義の死※」において、環境運動は新たな戦略を必要としていると指摘する。とりわけ彼らはこう述べる。環境政策改正を提唱する人は、環境を別個の領域として考えることを辞めるべきだ、と。個別のものとして伝達され、問題を含み、故にそれが他の要求と対立するときには却下されてしまうような「あちら」のものとして環境を対象化する限りにおいて、そのような見方をとる人々は他の社会的政治的問題から分離するようにしてその障害を見てしまう。そうではなく、戦争だとか貧困だとか過度な汚染だとかいう人間が作った現象を考えから排除した環境保護主義の狭い枠組みから抜け出すために、二人は環境を他の社会政治的問題を包括するものとして理解することを促す。こうしたアプローチによって、環境保護主義的な想像力は技術的問題に取り組むことだけに限定されなくなり、他方で非効率的な政策を長続きさせる政治的文脈をすっとばすこともできる。シェレンバ—ガーとノードハウスはこうも言う。気候変化は見たところ分断した社会的あるいは政治的イシュー—例えば選挙資金、国際貿易、あるいは富のシステム的不均衡—が環境にもたらす帰結を認識することによって取り組まれるしかない、と。現在、環境保護主義が決定しているトピックは多く彼らの活動見通しのらち外にある。
※マイケル・シェレンバ—ガーとテッド・ノードハウスとによる「環境保護主義の死」はこちらから。http://thebreakthrough.org
Continue reading Volume#24 Expanding Environmentalism.

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