Volume#24 Expanding Environmentalism
環境保護主義を拡張する
C-Lab
この半世紀で環境への関心はカウンターカルチャー的運動からメインストリームの問題へとシフトした。政治の動向に近年環境問題が突出してきたわけだが、それでもなお特筆すべきはこういうことだ。問題に対する気づきの増加は、世界規模の気候混乱という変化に解決策を与えることとほとんど関係ない。のみならず、建築環境に対する現在的な救済策(LEEDのような)が広く採用されていることは、多くの科学者が必要だと信じている程度—少なくともUS、中国、ロシアやインドのような主要汚染国の間で—で排出を削減しようという国の政策と合致してこなかった。よくある環境保護主義的処方箋の効率性には疑う余地がある。
マイケル・シェレンバ—ガー(Michael Shellenberger)とテッド・ノードハウス(Ted Nordhaus)は彼らの著作「環境保護主義の死※」において、環境運動は新たな戦略を必要としていると指摘する。とりわけ彼らはこう述べる。環境政策改正を提唱する人は、環境を別個の領域として考えることを辞めるべきだ、と。個別のものとして伝達され、問題を含み、故にそれが他の要求と対立するときには却下されてしまうような「あちら」のものとして環境を対象化する限りにおいて、そのような見方をとる人々は他の社会的政治的問題から分離するようにしてその障害を見てしまう。そうではなく、戦争だとか貧困だとか過度な汚染だとかいう人間が作った現象を考えから排除した環境保護主義の狭い枠組みから抜け出すために、二人は環境を他の社会政治的問題を包括するものとして理解することを促す。こうしたアプローチによって、環境保護主義的な想像力は技術的問題に取り組むことだけに限定されなくなり、他方で非効率的な政策を長続きさせる政治的文脈をすっとばすこともできる。シェレンバ—ガーとノードハウスはこうも言う。気候変化は見たところ分断した社会的あるいは政治的イシュー—例えば選挙資金、国際貿易、あるいは富のシステム的不均衡—が環境にもたらす帰結を認識することによって取り組まれるしかない、と。現在、環境保護主義が決定しているトピックは多く彼らの活動見通しのらち外にある。
C-Lab
この半世紀で環境への関心はカウンターカルチャー的運動からメインストリームの問題へとシフトした。政治の動向に近年環境問題が突出してきたわけだが、それでもなお特筆すべきはこういうことだ。問題に対する気づきの増加は、世界規模の気候混乱という変化に解決策を与えることとほとんど関係ない。のみならず、建築環境に対する現在的な救済策(LEEDのような)が広く採用されていることは、多くの科学者が必要だと信じている程度—少なくともUS、中国、ロシアやインドのような主要汚染国の間で—で排出を削減しようという国の政策と合致してこなかった。よくある環境保護主義的処方箋の効率性には疑う余地がある。
マイケル・シェレンバ—ガー(Michael Shellenberger)とテッド・ノードハウス(Ted Nordhaus)は彼らの著作「環境保護主義の死※」において、環境運動は新たな戦略を必要としていると指摘する。とりわけ彼らはこう述べる。環境政策改正を提唱する人は、環境を別個の領域として考えることを辞めるべきだ、と。個別のものとして伝達され、問題を含み、故にそれが他の要求と対立するときには却下されてしまうような「あちら」のものとして環境を対象化する限りにおいて、そのような見方をとる人々は他の社会的政治的問題から分離するようにしてその障害を見てしまう。そうではなく、戦争だとか貧困だとか過度な汚染だとかいう人間が作った現象を考えから排除した環境保護主義の狭い枠組みから抜け出すために、二人は環境を他の社会政治的問題を包括するものとして理解することを促す。こうしたアプローチによって、環境保護主義的な想像力は技術的問題に取り組むことだけに限定されなくなり、他方で非効率的な政策を長続きさせる政治的文脈をすっとばすこともできる。シェレンバ—ガーとノードハウスはこうも言う。気候変化は見たところ分断した社会的あるいは政治的イシュー—例えば選挙資金、国際貿易、あるいは富のシステム的不均衡—が環境にもたらす帰結を認識することによって取り組まれるしかない、と。現在、環境保護主義が決定しているトピックは多く彼らの活動見通しのらち外にある。
※マイケル・シェレンバ—ガーとテッド・ノードハウスとによる「環境保護主義の死」はこちらから。http://thebreakthrough.org
建築的な実践においてこれ以上なすべきことなどないかに見える。「グリーン」ビルディング・デザイン基準(LEEDのような)は関心の対象を分散させる。物質、土地、水、効率性、気づき、教育、ロケーション、創造性、などなど。最も標準的な動機付けのプログラムは、建物の性能とより大規模な社会的政治的文脈との関係性をより体系的に再考させることなく、技術的調整の好みのみを提供する。サステナブル・ビルディング基準を推奨するプログラムは、しばしば環境性能を別個のカテゴリーとして理解する。それは状況が後押ししてくれるときには考慮され得る—例えば、税控除がエネルギー効率化技術にかかる支出を相殺するほど長期的にデベロッパーが建物を所有する見通しを立てたときとか—が、そうではないときは見向きもされない。環境効果を技術的効率性戦略へと貶めることによって、そして環境に関する議論の語彙をうまく規定できないことによって、標準的なサステナビリティのモデルはよりあからさまな政治的役回りを行う機会を譲り渡し、他方でその領域を空間的関心を持つ建築家の党派(リサイクル派 VS エコ技術主義派 VS 自然系土着派)によって分ける。そのかわり、建築はー異なる政治的経済的アジェンダ間の交渉を必然的に行い、技術的決定の社会的含意を認識するー独自に環境への関心をより広いイシューの領域に再度枠付けるために位置づけられる。
こうした認識の移行を要めることはいいことだ。気候変化の重要性が広く議論されているにもかかわらず、私たちは環境危機への抵抗を前進させ得る評価基準の採用に腰が重い。60年代から生まれたコミュニケーションやコラボレーションの文化は、より生産的な議論につながる意見とアプローチとの違いを明確に言いそこなうがために、気候変化の重大性についての広く公共的な合意へと至るにもかかわらず、皮肉にもそれが行動を抑制してしまう。環境的な危機に関する「気づきを促そう」キャンペーンの勝利は、環境運動をそれ自身の成功の犠牲者にする。勝利した人気ある意見は大衆の想像力を刺激できず、一見物議をかもしそうな政策への支援も獲得できないが、公共的な議論への導入にかかわる政治的リスクを上回る経済的、社会的、そして環境的利益を持っている。
建築家はそれらの基準を可能にする政策を再考するための環境基準という狭い規定を超えることで、議論を再=活性化できる。政治的文脈へと注意を移行させることは、限定的な資源云々という話を超えて建築家を動かし、最も標準的なプログラムやコードによって肯定された、個々の建物のスケールにおける技術的解決以外の戦略を示唆するような、建築環境の可能な政策的含意を考慮させる。真の問題は建築家がエネルギー消費に技術的な向上をもたらすことができるかということではなく、むしろ、1960年代のカウンターカルチャーがそうであったように、彼らが政治的議論の語彙を規定できるかどうかなのである。
下訳/さかきばら
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