openlab.13| 【レポート】近藤佳奈「希望を感じさせる居場所作り―アメリカ訪問を通して」

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建築の社会貢献に見えるもの
漆戸航


2月27日17:00よりradlab.にてopenlab.の第13回、プレゼンテーション&ディスカッション「希望を感じさせる居場所作り―アメリカ訪問を通して」を開催した。

今回のプレゼンターは「Architecture for Humanity(AFH)」の京都支部を立ち上げようと奮闘する一人の建築学生、近藤佳奈さんだ。建築を学ぶ過程で「建築を通して社会に何をなし得るのか?」という問いに直面した彼女は、社会的な建築活動を行っている主体が数多く存在するアメリカへ渡った。今回は、そこで彼女が出会った団体や活動の報告、さらには、彼女が感じ考えたことを訴えかけるところから議論が始まった。近藤さんのプレゼンの後、RADとクリティカルデザインラボのディレクター水野大二郎さんを交え、日本における「建築の社会貢献」をテーマに話が展開する。 


社会に貢献する建築主体
近藤さんが最初に出会った団体であり、先にも名前を挙げた「AFH」とは、サンフランシスコを拠点に活動する、建築をベースにしたNPOである。彼らの活動には、世界各国の貧困地域、被災地での建築的貢献といった「人道支援」が多い。近藤さんは彼らの主たる活動成果として、ケニアにおける貯水機能を持つ学校の建設をひとつ挙げた。彼らの特徴は、世界中で散見される社会的な課題に対する建築的な解決策を集め、それらを実際に当該地域に提供していくというシステムを稼働させているところにある。この団体の存在を知ったことがきっかけで彼女はアメリカへと渡り、数々の主体と出会う。それらの多くは、地域にある問題を見つけ出し、住民などユーザーに参与してもらいながら問題の建築的、デザイン的解決を図るといった活動手法をとる。単に建物を建設するのではなく、それらを取り巻く環境や仕組みなども同時に設計するのである。

IMG_3584.jpg 使う人とともにあること
例えば、ホームレスやドラッグ中毒者への住居が必要だという社会的な問題がある。この時、ハードとして単に居心地のよい空間を提供することだけで問題は解決するのだろうか? こうした課題に取り組む団体の一例として「Central City Concern」が挙げられる。彼らは、問題の再発を防ぐためのシステムを構築し、それに基づいた設計を行う。「そのシステムとはどのようなものであるべきか?」「それは設計者から利用者への押しつけになっていないか?」こうしたことに関するディスカッションを利用者自身と行い、使用者を設計に巻き込んでゆくことで地域に即したより恒久的なシステムを構築し、解決をはかる。
 

集団で行うこと
彼らの活動はいわゆる「建築」の範疇にとどまるものではない。ゆえにその構成は様々な主体からなる。当然のことながら、問題への解決策を提示するのは建築家に限られないし、建築家が例えば社会学や経済学的側面からのアイデアに学ぶところは極めて多い。と同時に、資金調達の手段や運営方法なども平行して考えられる必要があり、それに長けた者の参加はプロジェクト自体の正否を握る。状況は複合的であり、故にさまざまなことを総べて考えることが求められる。
 

複線的であること
興味深い点は、紹介された団体の全てが直接的な「社会貢献」を行っているというわけではないところだ。中には、他者の優れた活動に焦点を当て、表彰する団体や活動を誘発するための団体も存在する。集団が独自の観点のみから活動してしまうことで起りかねない視野狭窄という問題点は、「実践しようとする」人々と、これら「伝えようとする」人々との相補的な関係性によっても乗り越えられる。今回のプレゼンの主旨は日本においても「建築による社会貢献」活動が行われることを期待するものであった。が、そこでより望まれるのは、 その活動がこのように複線的なものであること、となるのではないだろうか。


「社会的であること」について
プレゼンでは数多くの活動主体が紹介された。しかし日本では彼らと同質の活動主体は、名を連ねて挙げられるほど多くは存在していないだろう。もちろんゼロではない。一方でアメリカではこういった「社会的(social)」な課題のためのデザインや活動は、書籍などを通じて比較的認知されているようだ。他方、日本では社会貢献という視点でとらえられた場合の建築は、メディアに取り上げられることもまだ少なく、一般に広く受容されているとは言い難いように思われる。

ここで日本の問題を考えるならば、それは社会的な建築の実践の少なさ、ではない。むしろ、広い視野で「社会貢献」をなす建築家と、その片鱗のみをとらえ伝えるメディア、そして視野狭窄された価値観によって可能性を狭めてかねない情報の受給者、この三者の関係性にある。実際、建築にとっての「社会貢献」とは、可及的に対処されるべき問題(災害復興・貧困地域援助等)へのインフラストラクチャー等の提供による解決といった「人道支援」がイメージされやすいのではないか? 今回の報告者近藤さんの想定もそのあたりにあるのではないかと感じられた。しかし、はたして「社会貢献」という言葉と「人道支援」という言葉はイコールで結びつくものであるのか?「社会貢献」という本来広い定義の言葉をある視野のみからとらえてしまうならば、それは少々危険なことかもしれない。

IMG_3577.jpg アメリカの活動主体に見る「社会性」
ここで問われるべきは、「社会貢献」と「人道支援」との関係性を明確にすることよりも、「社会的であること」のもとに何がなされるべきか、ということだろう。紹介された団体が「建築」という枠組みを飛び越え、さまざまな共同者とともに状況を変えていく複数的なあり様はひとつ「社会的であること」の例示となるかもしれない。彼らの活動は、実際さまざまな共同性の下に成り立っていた。以下のように。
 
·      使用者との共同性
·      他分野との共同性
·      他の実践者との共同性
 
使用者との共同は「ユーザーを中心に設計する」だけでなく、実際に使う人とどのように作り上げていくか、ということでもある。ならびに、他分野との共同によって、建築家のみでは扱い難い問題にも主体的に対処しうる状況を広げることができる。この際、一人の/一組の実践者のみではなしえないこと、例えばその評価や誘発などを可能にし、実践の更なる発展と拡大を促すためには、他の実践者との共同がはかられる必要もあるだろう。
 

「建築の社会貢献」をどう考えるか
「社会貢献」という大きなテーマを掲げたとき、無批判的に「問題」を探し出そうとすることは望ましくない。何が問題で、どのような背景があり、どういった視点と対処方法が必要なのか。こうしたことを考慮しながら手法を発展させたとき、その活動は必然的に「社会的なもの」となるだろう。
 
 アメリカ諸団体の活動の「社会性」を「人道支援を行うこと」ではなく、その「活動手法」の中に見出すこと。そのときひとつ重要なこととして、「共同性を持つこと」によって、その活動が活動者のみの内部完結にならない、という点を今回挙げた。外部との積極的参与による活動の発展や波及は、まさしく「社会的であること」のもとにある有効なモデルとなり得る。我々が、日本での建築の「社会貢献」を考える時、そのヒントをこういったところに見出せるのではないだろうか。
 
視野を広げて「建築の社会貢献」の可能性を模索する。我々が第一になすべきことは、そこにあるのかもしれない。

IMG_3590.jpg
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参照
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New York 
 
Pennsylvania 
 
San Francisco 
 
Seattle 
 
Portland 

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