Volume#27 Fight and Accept

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闘争と受容
エージェン・オースターマン


2007年、金融恐慌が世界を激烈に襲ったとき、どこでも見られた反応は混じりっけなしの驚きだった。数十億、数兆ドルがこんなスピードで消えていくのかと思うと興味すら覚えるほどだ。二度と元には戻らない、と専門家は警告していたけれど、一般的な予測は、そのうち正常に回復するだろう、というものだった。私たちが生きるスペクタクル社会において、私たちは急な社会変化の昂奮に慣れている。私たちはこうしたイベントに対して、マジックを見ているかのように反応する。最初、マジシャンはあなたが見ているすべてがありふれたものであり日常のものであって、タネも仕掛けもないことを見せる。それから、彼はオーディエンスに想像もつかないことでもってびっくりさせる。そして聴衆がいまだその昂奮と戦っているとき、そして深く不安を感じているとき、正常な秩序をとりもどす —見て、何も変わってないよ、と。これは私たちが好むリアリティの理解だ。よいショー。ということで、ビジネスの話に戻ろう。


私たち自身の状況を理解するために有効な他のリアリティモデルがある。管理モデルだ。地域的な人口減少、海水面の上昇、といった具合に問題は浮かび上がる —そういう種類のものごとは、ということだけど。それは伝えられるべきであり、解決されるべきでもある。だれかがそれをしないといけない、でもそれは私の関心事ではない。政府か自治体はこの責任をとらないんだろうか? 私は税金を払っているわけだし。しかもどうあったってそれは私の手の届く範囲の話じゃない。


それぞれの方法で、どちらのモデルもよき安定した世界をつくっている。少なくとも個人的なレベルにおいては。それらはものごとを動かし続けるブルジョワ的信念システムの二つの基礎だ。明日は今日よりさほど変わらないだろう。命には関わらない病気のように、(たとえ致命的な病気であっても)混乱は自然になくなり、対処されるのだ。


でも老化に関してはどうだろう? 生きることにまつわる要素のひとつとして、それはつねに生の部分なのだ。それを否定することは無意味だし、それから逃げることができないこともまた確か。ただ、社会スケールに関して言えば、大きな変化は老いの観点から起こっている。先の世紀における人類の平均寿命に対していまではそれが二倍になったわけで、この世紀は他の大きな増加を見ることになるだろう。人口全体に比した65歳以上人口の劇的な増加が私たちにとって慣れ親しんだ社会モデルを脅かすにつれ、それは私たち自身の見込みやそのときの義務に課題をつきつける。じゃあそのときマジシャンはどこにいて、マネージャーはどこにいるんだろう?


マジシャンは目の前にいる。今やドクターだとか生物医学研究員だとか呼ばれている。そのトリック「あなたは若い—若くない(こわい!)—やっぱり若い」は主としてひとつのうわべだが、身体に対する基礎的な干渉がおぼろげに見えている。機械的な方法(メカニックとしてのドクターと、機械としての身体)によって機能していない身体のパーツを取り替えるかわりに、他のアプローチがテストされている。組織を成長させ、最終器官を完成させること、はそのひとつの方法である。また別に、遺伝子レベルで細胞における老化のメカニズムをストップさせてしまうとか。三つ目としては、この十年間のうちに、この約束の結末は細胞レベルへの予防的な衝撃に焦点を当てる。私たちの生化学的な身体におけるランダムな攻撃は、ゆくゆく機能の劣化や欠陥を生み出す。こうした攻撃を止めることによって、身体は老齢になっても適切に動き続け得る。基本的に、こうした発展は現象としての老化の廃絶に焦点を当てている。農業革命、産業革命の後には、老化という約束に立ち向かうことが、なされつつある次なる革命となるだろう。


こうした発展の社会的、空間的な含意を想像することは難しい。が、それが現実になるまでにじっくり考えるための時間はいくらかある。その間、私たちは(労働人口の数に比して必要なケアの量と強度にともなう)変革のシフトの中にある。マネージャーはここにこそ姿を現す。第二次大戦後、西欧は福祉国家の建設に動いた。生涯にわたって、全ての人に、必要最小限のものが、保証されている。リタイアメント、公的年金、そしてもちろん税金とあわせて。そのモデルは世代間の連帯責任をベースにしていた(し、現在でもそう)。労働者はその両親や祖父母のケアのために金を払う。それは伝統的な社会において子どもが高齢家族の面倒を見る、という話と違わないのだが、今ではそれが総体としての社会というレベルに影響を与えている。この社会的なお膳立てはそれなりの代償を払う。人口の労働者部分は生産へと寄与することをいかなる形であれ抑制されるべきではない。だから高齢者ケア施設は、家族単位を、それが負っていた慣習的義務から自由にするためにつくられた。留保された見せかけの独立のもとに労働を経済化すること(両親は大人になった彼らの子どもと一緒に引っ越しをしたりしない)がモデルとなっている。その結果、一分の人口の疎外や隔離が生まれた。問題としての高齢、本当の社会的なお荷物は(生産というパースペクティヴから)管理され解決されるべきだ。オランダやその周囲の国家において、こうしたお膳立てにかけられる(財政の)限度は、1960 - 70年のリタイアした世帯(とコスト)の数が爆発的に増加するなかではっきりした。80年代の中盤になれば、政策におけるドラスティックな変化が生まれる。65歳以上のすべての市民に部屋を与えるのではなく、施設から人を離し、なるべく自分の家にいてもらおうというのが政策の意図となる(そしていまもそうだ)。中間にあるケア施設、そしてそのタイポロジーはそうやってまるごと導入された。次なるターゲットはリタイアそれ自体だ。近代社会における学習段階、労働段階、そしてリタイア段階の分析モデルは、より持続的でより包括的なモデルに取り替えられる必要がある。高齢者人口と(可能な)生産とが再び結び合わされ、社会全体における再統合がなされるべきだ。「受容」はここではバズワードだ。私たちはそうした変革の最中にある。


このパラダイムシフトはあらゆる種の変容をともなう。ひとつの住宅から人々の個別的な状況(ひとり暮らし、家族、エンプティ・ネスター【訳註:子どもが巣立った親】、リタイア組、ケア異存)に対する次なる異存へと移行するかわりに、今はそうした現実を引き続き許容するようなひとつの環境が強調されるべきだ。これは社会的な視点から見た、サステナビリティに対するまた別の見解である。建物は伸びたり縮んだりしないわけだから、それとは別の柔軟性が求められる。都市もまた同じ。人口構成(年齢グループや収入別の階層)におけるシフトが経済的社会的現実を変化させるのである。


社会が直面するもうひとつの課題は、認知症、様々な物理的機能障害、ハンディキャップを持つ高齢者数の急激な増加に対する配慮だ。老人ホームは現在デフォルト施設ではあるが、こうした病院のようなエンドステーションは、いまだ判断力がしっかりしている人にとっては恐るべきシナリオとなっている。興味深いことではあるが、トータル・コントロールに対応するタイポロジーは建築家からあまり注意を払われていない。施設の壁の内側をよりよくすることは可能だ。でもマジシャンはそのトリックを必ずしも完璧にやりおおせるわけではないのだから、おそらく私たちは社会におけるこうしたカテゴリに配慮する全く新しい建築をデザインするべきなのだ。


老若の再統合は人類の物理性能へ限定されるだけじゃない。高齢社会に対するより統合的なまなざしは、ゆっくりと浮上している。例えば、保存という問題は専門性の領域から既存の環境に対する統合的な見解へと、つまりいかにしてそれを私たちの必要性と擦り合せるか、といったところのものへと変化している。デザインにおいて「永遠に若い」ということに対する一面的で教条的な焦点化が、高齢消費者という増加するマーケットが調整されたマーケティング戦略を必要としているのにもかかわらず、認められる。「新しい」ものの時代の後、統合の時代は間近にある。社会的役割、年齢グループ、そして諸文化との間にある境界は曖昧なものになっており、その曖昧化は、統合に取り組む戦略としてだったり、より豊かな生活を導く方法としてだったりする。


社会の高齢化にともなう大きな構造変化によって、デザインや建築の立ち位置や役割は変化している。考案されるべき領域はいまだあり得、また必要とされてもいる。でもそれは緊急のことであって、集合的に個別化された野心や目的を再考することでもある。モダニズムのドグマは素材の量を供給することに関わっていた。そしてポストモダンのマントラは個別化された表現だ。今や課題は他の基礎的な価値(この号に掲載されている『信頼のデザイン』の中でも掘り下げられている信頼だとか)の位置づけである。死が私たちを分つまで、しかしその一瞬まで、私たちはともにあるのだ。



下訳/さかきばら

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