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Volume#20 Fact and Friction

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事実と摩擦

ジェイ・ローゼン
聞き手:ジェフリー・イナバ、タレン・モンゴメリ



ストーリーをどのように伝えるのかをジャーナリストはどうやって決めるのだろうか? あるひとつのストーリーをレポートするときに彼らが負う責任とは? そしてどの程度彼らは大衆の関心を書くのだろうか? ニューヨーク大学でジャーナリズムを教えるかたわら報道批評も行うジェイ・ローゼンはこれらの問題を、ジャーナリストは大衆を表象するのか/つくりだすのかに関し長年にわたって行われている議論を引き合いに出して説明している。曰く、「大衆は見つけられることを待っているものであり、私たちが目に見えるようにしなければならない」と。この議論に付け加えるべきは、市民ジャーナリズムの到来、そしてとりわけ新たなストーリーをつくる際の大衆の役割についての議論である。ローゼンは、語られたストーリーに関するジャーナリズムの新たなモデルが生み出す問題点を正確に指摘しながら、伝統的ジャーナリズムに関する方法論の風景を通してヴォリュームをガイドする。
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ジェフリー・イナバ(以下JI)
「ジャーナリストは何のため?」という記事において、あなたは大衆の脆さを指摘しています。大衆は不変の実在物ではありえず、ゆえにその延長上で考えれば「大衆の関心」など安っぽい言葉だ、とあなたは言っているように思われます。「大衆」を規定する際の報道の役割とはどのようなものでしょう?



ジェイ・ローゼン(以下JR)
この問題は、ウォルターリップマンとジョン・デウィが行った大衆の性質に関する議論、ならびにジャーナリストである私たちは大衆をただ表象するだけなのか、あるいは不可避的にそれを生み出してしまうのか、という議論へとさかのぼります。リップマンの主張はこうです。あなたが、知るだろう大衆しか見ていないのならば、それは極めて限定的なキャパシティでしかありません。これにはそうだ、とも違う、とも言えますから政治家を引き入れることも追い出すこともできますが、究極的にはそうした認識は操作されたものなのです。なぜなら、当たり前ですが、大衆はその他のこともしているからです。彼はこの件に関してリアリストたろうとした。一方でデウィはこう言います。「賛同できかねますねウォルター。話は分かる、でも君は何か見過ごしていませんか。私たちは今までになく大衆を生き生きさせるためのより良きツールを持っています。そしてそれこそ私たちがしていると思われていることなのでは。だから君ウォルターも、そして私も、それから芸術、文化、教育、政治に関わっているすべての人々も、大衆をどうやって生き生きさせるのかをずっと考えていかないといけないんじゃないですか。」それは情報の問題というだけでなく、技術の問題でもある。なぜなら人々をうまく関らせることは、私たちが解決しなければならない社会的問題でもあるからです。だから私にとっては、そう、大衆は見つけられるのを待っているものであり、私たちが目に見えるようにしなければならないのです。そうするための客観的な方法などありません。それはひとつの技術であり、コミットメントでもある。思うに、真に優れたジャーナリストは真実を語ることに気を遣う人であり、彼らが伝えようとするストーリーに、そしてそれが効果をもたらすということに気を遣う彼らは、こう言います。「大衆を目覚めさせる」と。デウィが言わんとしたことはつまりそういうことです。


Volume#22 City Guide

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シティー・ガイド
エージェン・オースターマン


よく知られているように、他者の目を介す事で普段の習慣を新たなものとして見いだすことができる。それはすでにクリシェであるが、それゆえ真実であるに違いない。あなた自身の都市のガイドを手にしてみよう。そして一度、その指示に従い、自分の街のツーリストになってみる。全てがそれまでとは違ったものとして見えてくるだろう。その結果、感性的経験が、機能とか感情的経験に代わって中心的になる。あなたの友達が住んでいるストリートは、もはや楽しい時間への道程ではなく、訪れるにものうげな場所に変化する。以前の工場地帯だったあなたのオフィスが位置している自由で豊かなエリアは、孤立し荒廃した粗末な建物の群れへと変化してしまう。一方で、職場への道にあ るいつもは無視してしまうような小さな教会が、見事な細部をともなう繊細な空間的構成物としてあらわれてくる。



おそらく熟練した旅行者はこれらの経験には満足しない。彼らはオーセンティック(真正さ)を目指し、その場所で生活する人々の生の情報を探そうとする。事実、彼らはあなたの都市を普段あなたが見ているように見たいと熱望している。そしてトラベルガイドは通常では不可能な時間と方法を提供することによって、そこに住む人々の視点を与えているように狡猾に見せかけている。幸いな事にそんな事は不可能である。もし真正さが何か意味を持つにしても、それはそのようなものとして記述され認識された瞬間に失われる。旅行者が求めるものは、真正さというものを商品、そして単純に反目するものへと変化させてしまう。

Volume#21 Blockbuster

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ブロックバスター
エージェン・オースターマン


数年前、中国の都市化に関するいくつかの指標が少しずつ西洋のそれにまで追いついたとき、一般的な反応は沈黙せる驚愕だった。文化的プログラムかと思われた「20×20」だが、あきらかにこのコードは約20諸国全体への等価な住宅供給に立脚したものだった。たった20年で4億人のための都市。これは合衆国の人口全体よりも多い。


このニュースは容赦なくある事実をつきつける。西洋におけるコンスタンティノス・ドクシアディスの都市発展に対する考えが地区や近隣へと制限されていたが故に、都市や地方のスケールに関して今後取り組まれることはほとんどないという事実。オランダにおいて20万人の都市を計画することは無謀なことだと考えられており、これは他の西洋都市においても潜在的には同じことだ。


今日、世界で最も栄えている地域において、人口増加よりも深刻な問題として人口減少がとらえられている。でも世界を見渡してみれば今後40年でざっと30億人分の住宅が必要とされるだろう。さらに議論されるべきは、絶対的によろしくない状態にいま住んでいる10億人の居住をどうするのかという問題なのだが、それがなされていない。


というか、何が起こったのだ?大量の公共住宅を供給したんじゃなかったのか? どうなっているんだ?

Volume#20 Editorial

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Editorial
ジェフリー・イナバ


ストーリーテリングは事実を伝達することである。しかしそれはまた大衆の期待を膨らませたり、 その信用を高めるための現実的根拠を積み重ねるものでもある。このような目的の為に、ストーリーテリングをあらためて童話とつきあわせる必要がある。童話、特におとぎ話は現実から目をそらすためのものだとみなされる一方で、社会や政治のあらすじを明解にする手助けともなり得るのだ。「ヴォリューム9 号」、「アーバン・チャイナ31号」、「C-Labに密造されるアーバン・チャイナ」、「ヴォリューム19号」において続けて来た一連の研究を背景にしな がら、今号のヴォリュームではそこでテーマとなっていた世界的危機に応答しようと思う。今の時代を理解し、それへ返答する語りを組み立てる手段としてストーリーテリングをお届けしよう。


危機は混乱を生み出す。それはあらゆる可能な手段が失敗に終わった状況だ。そのような最悪の状況を改善しようとして取られる行動が具体的な帰結へと至ることはあまりない。原因と結果の間に理解し得る相互関係は無く、そのため結果的に進むべき道が分からなくなるのである。環境はどれもある程度同じように見えるときもあるだろうが、その環境のふるまいは理解し難いものであるが故に因果関係の分離が起こり、それが混乱を招くのである。空間が説明不可能になるとき、それが危機だ。

RT|4月17日READTANKします

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4月17日にREADTANKを行います。
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今回はVolume#20を読みます。当号のテーマは「ストーリーテリング」。もちろん文学的な物語の作り方語り方ではなく、建築において「ストーリー」を組み立て、語ることについての文章です。事実の伝達のみならず大衆の期待を膨らませ、その期待に信頼を持たせうるものこそストーリー。建築のあり方を左右する「ストーリーテリング」のあり方を、今の社会を理解するためにも、考えていきます。
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詳細な時間はご連絡をいただけたらお伝えします。興味ある方はぜひどうぞ。

Volume#19 Architecture of Hope

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希望の建築

エージェン・オースターマン



ヴォリューム19号のためのデザインミーティングで私たちは、この特集では希望を表現しなければならないと話した。そのことは挑戦だというのは、幾分ありきたりな返答で、それに対して次号は全体が白黒で出版されることが決まる。虹色も無ければ、目を楽しませるものも無し、混沌とした日常的なマルチカラー、驚くべきイメージの猛襲をともなう畏怖、ショックもない。代わって物語へ戻ろう。私たちは戦後の時期から、魅力的で期待できるモノクロのイメージへの暗黙の参照を考え続けているのだろうか。おそらく結局のところ、現在私たちは、過去に彼らが行なったようには、私たちの社会や未来を再評価できていないだろう。

 


福祉的社会の建設は、今や凋落しつつある西洋社会において重要な戦後プログラムだった。現在(生産/消費と経済という)2重のシステムの崩壊は、今一度再び、どのようなプログラムとパースペクティブが考案されるかを指し示している。経済的、社会的、政治的次元において、彼らは無限性というコンセプトの中で啓蒙され近代化されたプロジェクトを達成していた。(そのコンセプトは、建築と都市発展における空間的無限性をともなって十分に働いていた。しかしながら、空間は不可分で、たかだか一時的に局所化され特異化されていた。)現在の課題は、地球との繋がりを伴った空間体験と混同にすること無しに、境界と無限というコンセプトを操ることにある。(国境、領土的限界、地理的な?)

 

Volume#18 Editorial

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Editorial
エージェン・オースターマン


ノルウェイで書籍やギフトを扱う人気チェーン店ノータベネが、気候変化へのインパクトを抑えるため店内のメタルシェルフを再生紙でできた棚に変えるそうだ。低炭素社会への支持表明をなし、同企業は130ある店舗それぞれの什器や建具を100%オーガニックでリサイクル可能な材料でできたものに取り替えるとのこと。
(ノルウェー2008年11月27日付「Stora Enso Ventures」プレスリリースより)


70年代の終わりか80年代のはじめごろのいつからか進歩は保守的になった。逆にデザイナーにとってこれは、それぞれの仕事が個人的な好みに基づくようになったくらいのことだったように思われる。建築家の中には自らがモダニズムに心酔していることをほのめかす者もいるにはいたが、それに支配的なパラダイムとして向き合うことは時代遅れであった。残りの者は歴史に心酔していた。でもそれがおそらく一番のポイントだろう。勝利をおさめた自由市場経済(あるいは新自由主義として知られてもいるもの)の結果として主張された「歴史の終わり」とともに、建築はその方向性を見失った。当時あらゆる種類のパーティ(党派)空間があった。ブロッブパーティ、伝統的響宴、ハードコアなテクノロジーパーティ、エコガーデンパーティ、メガストラクチャーアフターパーティ、そしてオンデマンドな個人主義からの終わりなきチルアウト。もし建築には微小な差異を作り出すことくらいしかできないだとか建築がただの差異でしかなくなったとしたら、あるいは、もし建築がベッドタイムストーリーを伝えることで事足れりとし、もうストーリーに寄与しようとしないのならば、そして、もし建築が原理的に物資を提供し、価値に重きを置かないのならば、そのとき歴史は本当に私たちの前を通り過ぎて行ってしまうのだ。

RT|3月20日READTANKします

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3月20日にREADTANKを行います。

スクリーンショット(2010-03-08 18.40.13).png
今回はVolume#18「AfterZero」の序文を読みます。建築における「エコ」問題を取り扱った文章ですが、サステナブルな建築とは何か、というような素朴な話ではもちろんありません。本当によりより生活をめざすためにわたしたちは「エコ」の名の下に起こる社会的な狂騒とどのように向かい合うべきなんだろう。もっといえば、「エコを問う」ということを問うためにはどうすべきなんだろう、という感じの旨が書かれています。ブラックなユーモアがピリッとスパイスを加えているすてきな文章です。以下はこの号の概説。

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もともとはちょっとおかしなヒッピー風イデオロギーだった「サステナビリティ」別名「エコ-フレンドリー」だとか「グリーン」だとかがいま世界中で受け入れられるようになった。でもそれってどういうことだ?環境的な切迫、政治的問題、技術的問題、歴史的必然、あるいは新たな世界の秩序?それからこれが受け入れられていることの帰結ってなんだろう?サステナビリティへのコンセンサスは結構危ない。というのも、このコンセプトはなんの政治的内容も持ってないが故にどんな要因にも使えるからだ。カーボンニュートラルやゼロエミッションはマジックワードのようなもので、自分たちの社会が持つ不平等さにまつわる複雑な倫理的諸問題を覆い隠しているんじゃないか。にしても、ゼロのための規制とかニュートラリティへの隠蔽は、すべてのひとがより良い都市の中で営む、より望ましい住居のなかでのふさわしい生活、をもたらしてくれはしない。アフターゼロというテーマは津波やカトリーナの恐怖によってインスパイアされたデザインに関して云々するものじゃない。ヴォリュームはゼロを超えた社会への理解を提案する。そのとっかかりとしてまずは二つのパースペクティヴを議論しよう。後期資本主義都市でのサステナビリティと都市農業の潜在力、これがその二つだ。
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参加したい、という方はご連絡下さい。お時間等の詳細をお知らせいたします。
ちなみにVolumeの翻訳状況はこんなかんじです。



Volume#17 Introduction

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序文


ジェフリー・イナバ

Jeffrey Inaba


私たちは大きな量というものに驚かなくなった。十億単位での利益、一千万単位での都市人口や訪問客、売り上げ、千単位でのパーソナライズされた「おすすめ」や検索結果、百単位での科学的発見 に私たちは慣れてしまっているのだ。しかしその豊富なお金、情報、そして可能性を普通だと感じるやいなや、私たちは欠乏の世界に直面しはじめる。おそらく私たちは重度の不足に対して取り組むだけの、際限なき利用可能性の時代が到来したことを目撃した者として歴史に名をとどめるだろう。あらゆる種の資源は次第に減少していくと言われている。資産の、株の、投資の急速な目減り。再生不可能な燃料の低下する入手可能性。そして現実に追いついていない世界食料供給網の産出量。事態はまるでポーカーのようだ。(取引する主体にとっては)より都合のよいハウスルールのもとで行われ、しかしそのカードは着実に減りつつある。


Volume#16 Planning Paradise

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楽園を計画する

エージェン・オースターマン


「重要な建築的介入を始めるために必要な条件は、その実践に関わる一団(政府、地方自治体、個人投資家、ディベロッパー、建設会社、プランナー、デザイナー、そして建築家)との協議によってプロジェクトを規定することである。」「建築的介入と変容」に関する最近の国際会議におけるこの前置きは、今日における諸過程を考える「包括的な」方法に典型的なものである。プランやポリシーはもはや少数の専門家によって規定されたり実施されたりするものではない。それらはすべてのステークホルダー(利害関係者:現在的にポピュラーなもうひとつの概念だ)とともに発展させられる。すべての?たいていは介入の主体と被害者となる使用者/消費者/居住者は、ここから著しく抜け落ちている。

求められない、すなわち―建築の新たな解剖学
オレ・ボウマン


『ボリューム』誌前号の編集長が、本誌でその創刊から書き続けてきた「求められない建築」を最も具体的な形にして提示してくれた。建築を超えていく、という考えがいかに行動に移されるのかを例示しながら、ボウマンはOUA(Office for Unsolicited Architecture)を設立することによって批評的実践の新たな断面を示してくれるだろう。


人々があれこれの死について語っていたときのこと を思い出してみよう。私たちはたくさんの葬式をあげた。ミシェル・フーコーは人類の死を言い張ったし、ロラン・バルトは作者の死を断言した。小説、真正 性、進歩、啓蒙、そうやって名指したものについて、哲学者たちは慰霊祭で話しあった。人々はまだ生きていたにもかかわらず、本はいまだ書かれて、進歩もま だまだなされていたにもかかわらず、それらはすべて生ける屍の文化だったというわけだ。過去もなければ未来もない。なぜなら歴史もまた死を宣言されたから だ。


Volume#13 Editorial

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Editorial
ジェフリー・イナバ

僕 たちの分野、そしてたぶんあらゆる分野は野心によってその輪郭が浮かび上がってくる。自らを知るためには野心を知らなければならない。でも野心はとても じゃないがシンプルなんてものではない。それは決して簡単なようにも、単一の動因であるようにも見えない。むしろそれは、しばしば手段が目的と取り違えら れてしまうような相互干渉する緒力の1セットなんだ。野心を取り上げる今号のヴォリュームでは、見当違いな目的の風景となったものの下準備的な見取り図を 提供しよう。

7月29日 READTANKします

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7月29日の水曜日13時よりREADTANKを行います。

今回もまだまだ「Volume」序文を読んでいきます。
参加をご希望の方は当日までにご一報ください。 

現在ウェブ上で閲覧可能な文章一覧(参考)をご参照の上、 
ご希望の序文を翻訳したものをご持参くださると幸いです。

Volume#12 An Awakening in Dubai

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ドバイでの目覚め
オレ・ボウマン
 

何年もの間、君は死んでいたと思われていた。植物人間になり、生命維持システムに頼っていた君は。夢遊病者のように意味のない言葉をつぶやき、そこにはない何かをみつめている君。
 
いかなる刺激にも反応せず、医者も君をどう回復させたものか分からない。彼らは君を外に連れ出す。新鮮な空気が手助けしてくれるかも知れないからだ。彼らはショック治療を試みる。そして、ついに、彼らは君のための場所を見つけるのだ。そこの空気は本当に新鮮なわけじゃないが、その場所は確かに衝撃的なものだ。

Volume#12 Last Chance?

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ラスト・チャンス?
レム・コールハース

私たちは終わりの時代に生きている。それは新たな始まりの時代ではない。
世界からもう一度やり直せる場所がなくなりつつある。。。

 
汚されていないキャンバスのように、ガルフ沿いの砂と海は、新しいアイデンティティがそこに記される究極のタブラ・ラサを与えてくれる。ヤシ、世界地図、文化資本、財界の中心、スポーツシティ・・・
 
しかし、1980年代のシンガポールや1990年代の中国のように、ガルフの最近の発展、とりわけドバイのそれは嘲笑にあっている。「ウォルト・ディズニーがアルバート・スピアに会ったようなもんだ」というマイク・デイヴィスのののしりは、ウィリアム・ギブソンが「死刑つきのディズニーランド」として15年前のシンガポールを描写したことをそのまま繰り返している。

「破壊の建築」
オレ・ボウマン

ケヴィン・サイツという名前を耳にしたことがあるだろうか。彼はとあるブログを運営するひとりのリポーターであり、現在ではYahoo!と共同し、世界の「ホット・ゾーン」での彼の経験を私たちに伝えてくれている。数十の紛争地域で彼は一体型ヴィデオカメラを装備し、人々に彼ら自身の物語を語らせることで「その紛争が現場ではどのように感じられるのか」をたった独りで取材しようとしている。たとえ高いプロ意識のような覆いやグローバルな読者といった虚飾のもとにあっても、状況はこれほど多くの人々を巻き込むぞっとするようなものであるのかということを感じられるだろう。

Volume#10 Agitation

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扇動

ジェフリー・イナバ



あなたが住んでいるところならばまた違っているかもしれないが、米国では一般に扇動が不足している。同業者の慣習的視点への対立を引き起こしてやろうという試みがあまりない。扇動者や、確立された価値に挑戦することで我々の制度の骨格を明らかにしようとする人はほとんどいない。そして、今日の包括的な状態において、扇動させられたりいらいらさせられたりと感じることはほとんどない。



扇動の不足は扇動的なことである。講義や、パネルディスカッションや、学術的プレゼンテーションにおいて人を揺るがすような視点を示そうという意識がほとんどない。明確に異なった立場にある人たちでさえ、不一致を示しているとあまり言われていない。議論が建設的な論評と協力的な取り決めに置き換わっている。骨の折れる努力は論争を激しくするより、むしろ補足的な視点へ費やされている。扇動の欠乏は平穏な状態に道をゆずる。全体としては、バランスの良い議論を通して洞察が得られるのだ、という発展への信念を感じることができる。でも不一致を許容し対立をはっきり述べさせることで評判の学校でさえも、内実はまあ静かなものである。


5月31日の日曜日19時よりREADTANKを行います。
【時間の記載を間違えておりました。19時からです。ごめんなさい】
今回も引き続き「Volume」序文を読んでいきます。


今回の担当は以下の通りです。 

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川勝:Volume#18 Editorial
榊原:Volume#11 The Architecture of Destruction
近藤:Volume#10 Introduction
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参加をご希望の方は当日までにご一報ください。 

現在ウェブ上で閲覧可能な文章一覧(参考)をご参照の上、 
ご希望の序文を翻訳したものをご持参くださると幸いです。

Volume#7 Exploding Practice

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激増する実践
エドウィン・ガードナー

諸定義は、諸用語や諸概念の実践に関して社会全般の合意を見つけようとする、制度、委員会、そして辞書によって規定される。そして諸実践は専門家らによって規定される。固定された定義には興味がないが、用語の使用における終わりなき可能性には関心がある専門家らによって。ただその実践の中でも、「オリジナルな実践」であると主張される実践、つまりその分野の用語を「正しい」意味で使用する特権を与えられた正当な後継者は除く。このオリジナルな実践は、その定義が誤用されるときには常に無礼を覚えるのであり、ゆえにそのギルドや制度と共に誤用に立ち向かうのである。
 
どのようにして建築という領域が打ち立てられ、形作られ、構成されているのだろうか?この問いは多様に言い直されうるが、合意には決して至らないであろう。建築は不動産開発業者や土建業者らに割り込まれ、建築用語や概念を彼ら自身の用法であやつり主張する建設産業外のあらゆる実践によって食い物にされている領域だ。建築という領域の定義は「古い」内側と新しく常に変化する外側との折衝によって規定されている。その内側が、ビッグマネーの、不動産の、そして政治の暴力を締め出す根拠を守る黄金の鳥籠を、その分野を囲んで打ち建てる一方で、その外側はその領域の境界線を外側へと押し広げるような建築のために諸概念を発展させている。しかしいくつかの主導権は建築の制度的な黄金の鳥籠の格子と、領域の新しい地平との間にある溝に橋を架けようとする。これらの主導権はその分野特有の知識と、いまだ「建築」としてとらえられあるいは売られているものの外側との間を、行ったり来たりしているのだ。建築の近隣や重複する分野の「デザイン」を見ていると、イギリスにあるデザインカウンシルによって設立されたリサーチと発展のチーム、REDが素晴らしい例となってくれそうだ。デザイン領域の限界について考えるとき、彼らはチャールズ・イームズが「デザインの境界線とは何か?」という質問に対してなした答えを引く。曰く「問題の境界線とはなにか?」と。

The Power of Architecture, Part II (Editorial)

オレ・ボウマン


人々が私に質問を投げかけている間に・・・

私が受けた幾つかの質問。なぜこの雑誌は、テクストがあまりに多かったり少なかったりして読みづらくなっているのか。なぜこの雑誌はコロコロ変わるのか。この雑誌はもう建築そのものについて扱わないのか?それはなぜか?なぜこの雑誌は私に必要な分の最新情報を与えてくれないのか?なぜこの雑誌は私のいる地方の本屋では買えないのか?なぜこの雑誌は英語でしか書かれていないのか?

答えよう。なぜならこの雑誌は権力を扱っているからだ。そして権力は私たちが知っているものとしての建築を変化させている。そのメディアや配信チャンネルを変化させているのと同様に。

5月2日の土曜日13時よりREADTANKを行います。
今回も引き続き「Volume」序文を読んでいきます。


今回の担当は以下の通りです。 

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榊原:Volume#7 Exploding Practice 
近藤:Volume#10 Introduction(ウェブ上では閲覧不可) 
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参加をご希望の方は当日までにご一報ください。 

現在ウェブ上で閲覧可能な文章一覧(参考)をご参照の上、 
ご希望の序文を翻訳したものをご持参くださると幸いです。

READTANK 序文翻訳の現状

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○は済んだもの、△は今準備中、「なし」はウェブ上であたれない、ということです。

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Volume 1 川勝○

Volume 2 榊原○

Volume 3 住吉山(要約○ 訳△)

Volume 4 近藤○

Volume 5 榊原○

Volume 6 川勝○

Volume 7 榊原○

Volume 8 なし

Volume 9 なし

Volume 10 近藤△

Volume 11 榊原△

Volume#5 Power FAQ

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Power FAQ

 

なぜヴォリューム5巻はイメージの分野を取り扱うのでしょうか?

 

権力は常にイメージに巻き込まれ、それらなしでは考えることさえできないが、権力なるものはそれらイメージのどこにも見られない。決してだ。権力は特定の行動というよりもむしろ行為への潜在力であるため、権力それ自体は不可視なのだ。このつかみどころのない性格はその力の源である。権力を学ぶためには異なった見方が必要だ―より微妙な兆しをさがし、より広いイメージ領野のモザイクを精査するという具合に。もっとも強大な力は表面上些細な効果を通して稼動するのである。

 

なぜ初老の男性のイメージが多く登場するのですか?

 

この号は権力の初期設定に注目する。挑まれ得る、挑まれねばならない、そして挑まれている設定に。

Volume#4 Coming up(Editorial)

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Coming up(Editorial)  


author: Volume


At most, these issues are paid lip-service with vague proclamations. Seldom are these proclamations connected to a sound analysis of the power structures determining architecture's fading role but also its explosive potential.


建築に関する声明の漠然さ

これらの号は、せいぜい漠然とした声明を伴う口先だけのお世辞を言われているにすぎない。これらの声明のなかで、建築の衰退する役割を規定するがその爆発的な潜在能力も規定する、権力構造の深い分析と関係づけられているものはほとんどない


The consequence is an architecture that is either a subservient instrument for political strategies or the self-appointed therapist of its tormented self. An architecture that has become pointless in its actions, lost in its awareness.


建築の行動の無意味化

その結末はというと、建築は政治的戦略のための従属する手段、または自己苦悩の自称セラピストのどちらかであるということになる。振る舞いが無意味になった建築は、意識を失った。

建築の転回と転回の建築

オレ・ボウマン


英国下院議員ジョージ・ガロウェイが、石油・食糧交換計画への彼の不正関与の可能性を調査していた米国上院のパネルの前に引き出されたとき、彼は共和党の大多数に対して注目すべき痛烈な非難をなす。彼らは自身の保守政策に基づき世界規模で事物のオーダーをせわしなく変化させようとしていた。彼は上院のパネルを「あらゆるスモークスクリーンの母」と呼ぶ。2003年イラク侵攻へと至る例の「嘘のつめあわせ」から注意をそらすために使われた、というわけだ。



祖国ロンドンに戻ったとき、彼は自身の賛同者たちから真実のチャンピオンとして迎えられた。イギリスでもそうだが、根拠なき理由から戦争を実行しようとし、国際法を蹂躙し、誠実さと正直さという倫理的スタンダードに楯つこうとする米国政権に向かって彼は果敢にも声を上げたわけだ。ハロウェイはジョン・ケリーが大統領キャンペーンの時にちょくちょく示唆していたにもかかわらず、ことあるごとに発言を避けようとした内容を敢えて主張した。曰く、保守的なアメリカは嘘に基づく幸福を追い求めている、と。政治的な溝はもはや左と右、急進派と保守派との間にあるのではなく、むしろ嘘と誠との間にある。より深いレベルで、権力闘争は現実を規定し、それらの規定に世界規模の重要性を持つ決定の基礎を据えんとする者に関するものだ。


何もしないってのはそれほど悪いことじゃない

オレ・ボウマン Ole Bouman

成功はポートフォリオの充実にかかっている。プロジェクトの規模、名声のあるクライアント、有名性の氾濫、そしてナルシスティックで、とりつかれたような、そして芝居じみた、とどまるところを知らないパーソナリティーにかかっていることも忘れてはいけない。抑制のない野心は有名建築事務所や有名建築学校の証明であり、そこでは「家に帰ること」がギブアップに等しい。クライアントのプログラムに従った要求を満たすだけの骨折り仕事から逃れたいと願うものにとって、机の下で寝るなどということはよくあることである。完全に正常だ。もしあなたが思考する創造的な建築家になりたいのならば、あなたが何かをなし得るだけではダメで、それをなさねばならない。仕事、仕事、仕事。それをモットーに。

建築のための新たなヴォリューム(論説)


オレ・バウマン

Ole Bouman


あらゆる書き物は空間を構成する(これは確かに比喩的な関係ではあるが、非-物質的な過程のいかなる描写も比喩的であるという限りにおいてそうなのである。思考は飛翔し、愛はためらいがちで、憎悪は燃え、そして書き物は空間を形づくる)


こうした事実を考えると、私は建築家が使用するのとおなじ道具を使用している。私は私の小説のために空間的なプランを引く。これらの線描は構成のプロセスに必要不可欠のものだ。私はまた私の素材(つまり言葉)の寛容さや度量を テストし、それから私の空間的なプランをこれらのプラグマティックな制限に適うよう調整するのである。私は使用のために建てる。私は私の読者を見越して自 らのテクストを組み立てるのだ。私が書いた空間へ彼らが住むことによって、その意味と機能は永続的に変化するだろう。私はしばしばクライアントの委託で仕 事をする。今もそうだ。「編集者」というクライアントは私に圧力をかけ、彼らの要求を伝えさせようとする。そして私はそうする。建築家の社会的スキル―こ れはある種の「建築的知識」だろうか―は、私が書くときに採用されるというわけだ。

3月28日13時からREAD TANK開催します。
 AMO+Archis+C-labによる「Volume」を読んでいきます。 

Volumeにかんしてこちらを・・・ 
場所:radlab. 
時間:13時〜17時

参加者募集しています。
リーディングサークル「READ TANK」をスタートさせます。 読書経験を共有し、また議論していく事で理解を深め、建築についてみんなで考える時間にしていきます。 意欲を持った参加者募集。