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Volume 20:Storytelling
Volume 21:The Block
- Editorial 榊原(参照)
- Industrialised Building Speech, 1954
- Mass Housing Guide
- Standards, Classes, Formats
- L.A. Collective
- Isa Andreu vs. Gropiusstadt
Volume 22:The Guide
エージェン・オースターマン
よく知られているように、他者の目を介す事で普段の習慣を新たなものとして見いだすことができる。それはすでにクリシェであるが、それゆえ真実であるに違いない。あなた自身の都市のガイドを手にしてみよう。そして一度、その指示に従い、自分の街のツーリストになってみる。全てがそれまでとは違ったものとして見えてくるだろう。その結果、感性的経験が、機能とか感情的経験に代わって中心的になる。あなたの友達が住んでいるストリートは、もはや楽しい時間への道程ではなく、訪れるにものうげな場所に変化する。以前の工場地帯だったあなたのオフィスが位置している自由で豊かなエリアは、孤立し荒廃した粗末な建物の群れへと変化してしまう。一方で、職場への道にあ るいつもは無視してしまうような小さな教会が、見事な細部をともなう繊細な空間的構成物としてあらわれてくる。
おそらく熟練した旅行者はこれらの経験には満足しない。彼らはオーセンティック(真正さ)を目指し、その場所で生活する人々の生の情報を探そうとする。事実、彼らはあなたの都市を普段あなたが見ているように見たいと熱望している。そしてトラベルガイドは通常では不可能な時間と方法を提供することによって、そこに住む人々の視点を与えているように狡猾に見せかけている。幸いな事にそんな事は不可能である。もし真正さが何か意味を持つにしても、それはそのようなものとして記述され認識された瞬間に失われる。旅行者が求めるものは、真正さというものを商品、そして単純に反目するものへと変化させてしまう。
エージェン・オースターマン
数年前、中国の都市化に関するいくつかの指標が少しずつ西洋のそれにまで追いついたとき、一般的な反応は沈黙せる驚愕だった。文化的プログラムかと思われた「20×20」だが、あきらかにこのコードは約20諸国全体への等価な住宅供給に立脚したものだった。たった20年で4億人のための都市。これは合衆国の人口全体よりも多い。
このニュースは容赦なくある事実をつきつける。西洋におけるコンスタンティノス・ドクシアディスの都市発展に対する考えが地区や近隣へと制限されていたが故に、都市や地方のスケールに関して今後取り組まれることはほとんどないという事実。オランダにおいて20万人の都市を計画することは無謀なことだと考えられており、これは他の西洋都市においても潜在的には同じことだ。
今日、世界で最も栄えている地域において、人口増加よりも深刻な問題として人口減少がとらえられている。でも世界を見渡してみれば今後40年でざっと30億人分の住宅が必要とされるだろう。さらに議論されるべきは、絶対的によろしくない状態にいま住んでいる10億人の居住をどうするのかという問題なのだが、それがなされていない。
というか、何が起こったのだ?大量の公共住宅を供給したんじゃなかったのか? どうなっているんだ?
ジェフリー・イナバ
危機は混乱を生み出す。それはあらゆる可能な手段が失敗に終わった状況だ。そのような最悪の状況を改善しようとして取られる行動が具体的な帰結へと至ることはあまりない。原因と結果の間に理解し得る相互関係は無く、そのため結果的に進むべき道が分からなくなるのである。環境はどれもある程度同じように見えるときもあるだろうが、その環境のふるまいは理解し難いものであるが故に因果関係の分離が起こり、それが混乱を招くのである。空間が説明不可能になるとき、それが危機だ。
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今回はVolume#20を読みます。当号のテーマは「ストーリーテリング」。もちろん文学的な物語の作り方語り方ではなく、建築において「ストーリー」を組み立て、語ることについての文章です。事実の伝達のみならず大衆の期待を膨らませ、その期待に信頼を持たせうるものこそストーリー。建築のあり方を左右する「ストーリーテリング」のあり方を、今の社会を理解するためにも、考えていきます。
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詳細な時間はご連絡をいただけたらお伝えします。興味ある方はぜひどうぞ。
エージェン・オースターマン
ヴォリューム19号のためのデザインミーティングで私たちは、この特集では希望を表現しなければならないと話した。そのことは挑戦だというのは、幾分ありきたりな返答で、それに対して次号は全体が白黒で出版されることが決まる。虹色も無ければ、目を楽しませるものも無し、混沌とした日常的なマルチカラー、驚くべきイメージの猛襲をともなう畏怖、ショックもない。代わって物語へ戻ろう。私たちは戦後の時期から、魅力的で期待できるモノクロのイメージへの暗黙の参照を考え続けているのだろうか。おそらく結局のところ、現在私たちは、過去に彼らが行なったようには、私たちの社会や未来を再評価できていないだろう。
福祉的社会の建設は、今や凋落しつつある西洋社会において重要な戦後プログラムだった。現在(生産/消費と経済という)2重のシステムの崩壊は、今一度再び、どのようなプログラムとパースペクティブが考案されるかを指し示している。経済的、社会的、政治的次元において、彼らは無限性というコンセプトの中で啓蒙され近代化されたプロジェクトを達成していた。(そのコンセプトは、建築と都市発展における空間的無限性をともなって十分に働いていた。しかしながら、空間は不可分で、たかだか一時的に局所化され特異化されていた。)現在の課題は、地球との繋がりを伴った空間体験と混同にすること無しに、境界と無限というコンセプトを操ることにある。(国境、領土的限界、地理的な?)
エージェン・オースターマン
ノルウェイで書籍やギフトを扱う人気チェーン店ノータベネが、気候変化へのインパクトを抑えるため店内のメタルシェルフを再生紙でできた棚に変えるそうだ。低炭素社会への支持表明をなし、同企業は130ある店舗それぞれの什器や建具を100%オーガニックでリサイクル可能な材料でできたものに取り替えるとのこと。(ノルウェー2008年11月27日付「Stora Enso Ventures」プレスリリースより)
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もともとはちょっとおかしなヒッピー風イデオロギーだった「サステナビリティ」別名「エコ-フレンドリー」だとか「グリーン」だとかがいま世界中で受け入れられるようになった。でもそれってどういうことだ?環境的な切迫、政治的問題、技術的問題、歴史的必然、あるいは新たな世界の秩序?それからこれが受け入れられていることの帰結ってなんだろう?サステナビリティへのコンセンサスは結構危ない。というのも、このコンセプトはなんの政治的内容も持ってないが故にどんな要因にも使えるからだ。カーボンニュートラルやゼロエミッションはマジックワードのようなもので、自分たちの社会が持つ不平等さにまつわる複雑な倫理的諸問題を覆い隠しているんじゃないか。にしても、ゼロのための規制とかニュートラリティへの隠蔽は、すべてのひとがより良い都市の中で営む、より望ましい住居のなかでのふさわしい生活、をもたらしてくれはしない。アフターゼロというテーマは津波やカトリーナの恐怖によってインスパイアされたデザインに関して云々するものじゃない。ヴォリュームはゼロを超えた社会への理解を提案する。そのとっかかりとしてまずは二つのパースペクティヴを議論しよう。後期資本主義都市でのサステナビリティと都市農業の潜在力、これがその二つだ。
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序文
ジェフリー・イナバ
Jeffrey Inaba
私たちは大きな量というものに驚かなくなった。十億単位での利益、一千万単位での都市人口や訪問客、売り上げ、千単位でのパーソナライズされた「おすすめ」や検索結果、百単位での科学的発見 に私たちは慣れてしまっているのだ。しかしその豊富なお金、情報、そして可能性を普通だと感じるやいなや、私たちは欠乏の世界に直面しはじめる。おそらく私たちは重度の不足に対して取り組むだけの、際限なき利用可能性の時代が到来したことを目撃した者として歴史に名をとどめるだろう。あらゆる種の資源は次第に減少していくと言われている。資産の、株の、投資の急速な目減り。再生不可能な燃料の低下する入手可能性。そして現実に追いついていない世界食料供給網の産出量。事態はまるでポーカーのようだ。(取引する主体にとっては)より都合のよいハウスルールのもとで行われ、しかしそのカードは着実に減りつつある。

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